おかげさまで、本連載も第6回目に入ることができました。第6回から第10回目も、これまで同様にドラッカーの「見方、考え方」に学びながら、「生き方・働き方」「組織風土」「働き甲斐と幸福」「AI時代のマネジメント」「機能する豊かな社会」などの重要テーマを考えていきます。
さて、今回第6回は、人生100年時代とも言われる時代の、新しい「生き方、働き方」についてです。実はドラッカーは、長寿社会をいち早く予見し、「第二の人生のマネジメント」についても多くの助言をしてきました。その考え方は実践的で、現代を生きる私たちに重要なヒントを与えてくれます。
まずは、かつて上司と部下の関係にあった二人の会話からみていきましょう。
(元上司(60代後半)と元部下(40代後半)の会話)
元部下:「部長、ご無沙汰しております!すみません、お忙しいのにお時間をとっていただいて。」
元上司:「久々に会えて嬉しいよ。何年ぶりかな。しかし、『部長』はもうやめろよ(苦笑)。」
元部下:「すごいですよね。10年前に早期退職をされてから大学院に通って、勉強されたなんて。僕には想像つかないですよ。今は、主にどういうお仕事をされているのですか。」
元上司:「自分の仕事の専門分野と大学院で研究したファイナンスの知識を合わせて、中小企業のM&Aや事業承継を支援するビジネスがメインかな。それから、いくつかの大学で学生と社会人にも教えているよ。」
元部下:「以前にも増して、パワフルで元気そうですね。」
元上司:「自分の好きなこと、得意だと思うことを、やりたいようにやれているからな。」
元部下:「やりがいも大きそうですね。」
元上司:「会社にいたときのように、大きなお金やプロジェクトを動かしているわけではないけどな。自分の仕事で誰かが喜んでくれる、役に立てている、そう実感できるのが何より嬉しい。もちろん、会社を辞める時はそんなことを考える余裕はなかったけどな。」
元部下:「私も40代後半に入ってきて、色々焦っています。この数年で自分が会社人生でどのレベルまで行けるのか、見えてしまいますし。」
元上司:「お前の実績は評価されているから、焦る必要なんかないよ。」
元部下:「けれど、今担当している商売の市況も良くないですし、不安は感じますよ。儲かっている部署でバリバリ大きな利益を出している同期や後輩に差をつけられているな、って。」
元上司:「年齢的にも、早く結果を出さないと、って焦るわけだよな。」
元部下:「はい。あと何年かの実績で『将来』が決まってしまう年齢ですから。やっぱり不安と焦りが半端ないですね。」
元上司:「気持ちはわかる。けれど、その考え方、もはや全く時代に合っていないと思うぞ。」
元部下:「え、どういうことですか?」
元上司:「それは、自分より会社がずっと長生きする時代の考え方だ。会社だけじゃない。今の職業、事業、商売、製品、組織が自分自身よりも長生きして残り続けると信じているから焦る。自分以外の誰かに、それが先に取られてしまう、ということへの恐れだな。」
元部下:「実際は違うのですか?」
元上司:「今は、組織よりもそこで働く人の方が長生きする時代だ。組織や事業の寿命は短くなる一方で、人の健康寿命は伸びている。」
元部下:「確かに。人生100年時代、なんてことも言われていますよね。でも、それって僕ら40代、50代の人にとってどのような具体的な影響があるのでしょうか。」
元上司:「『会社という尺』で将来設計するのではなく、『自分自身を経営(マネジメント)する』意識を持つことだ。自分自身を経営する長い時間軸の中で、組織の寿命にかかわらず、複数の事業や商売を経験していく、そういう時代になっている。」
元部下:「60歳を過ぎても、ですか。」
元上司:「もちろんだ。会社より自分が長生きする時代に、そもそも60歳定年に意味なんてない。定年が65歳になってもそれは同じだ。俺自身が誰よりそれを実感している。50代後半で会社を去る決断をした時からそのことをずっと考えてきた。」
元部下:「確かに、部長は60歳を過ぎて、ますます活躍するフィールドが広がっていますね。」
元上司:「もちろん体力的には、若い時の方が無理はきく。けれど、年を重ねて圧倒的に成長することもある。」
元部下:「それは何ですか。」
元上司:「『知識』と『知的生産性』とでも言うかな。これらは55歳、60歳を過ぎても、『自分自身を』正しくマネジメントしていけば、無限に成長させられる。そして、それが新しい時代に幸福なキャリアを築く上での重要な『資源』になる。」
元部下:「会社内の昇進や定年という狭い枠で、焦ったり不安になったりすることが小さいことのように思えてきますね。」
元上司:「もちろん、今の仕事でベストを尽くすことは大事だ。けれど、現代を生きる我々にとって、活躍できる時間軸は、以前よりもずっと長くなっていることを覚えておいて欲しい。自分自身という資源を生かす準備と経験を積み重ねることが大切だよ。」
元部下:「ありがとうございます。短期的な評価や評判に惑わされすぎていた気がします。今日のお話しを聞けただけでも、明日から生産的な気持ちで仕事に向かえそうです。」
「人が会社より長生きする時代」
私が、約15年前にクレアモント大学院大学のドラッカー・スクールに留学した際に、ドラッカー本人が言っていた次の言葉が印象に残っています。
「自分のキャリアにおいて、60歳以降が最も生産的だった」
確かに、彼の書き下ろした有名な書籍の多くが60歳を過ぎてから書かれています。しかし、ドラッカーが言っている「生産性」とは、単純に仕事の量のことではありません。自分が心からやりたい仕事に集中し、価値を生み出せた充実感のことを言っていたのでしょう。
そもそもドラッカーは、60歳まで務めたニューヨーク大学を定年退職した後にカリフォルニアのクレアモントに移りました。家族や組織への責任から少し解放され、温暖な気候の土地で、自分のやりたい仕事に没頭できたのが60歳以降だったのかもしれません。そのドラッカー自身、96歳の誕生日直前に亡くなるまで、「生産的な」人生を生き続けました。亡くなった週にも手帳にはスケジュールがたくさん書き込まれていたと言います。そのドラッカーの「仕事観、人生観」の根っこには、何があったのでしょうか。
「働く者、特に知識労働者の平均寿命と労働寿命が急速に伸びる一方において、雇用主たる組織の平均寿命が短くなった。今後、グローバル化と競争激化、急激なイノベーションと技術変化の波の中にあって、組織が繁栄を続けられる期間はさらに短くなっていく。これからは、ますます多くの人たち、特に知識労働者が、雇用主たる組織よりも長生きすることを覚悟しなければならない。」
(ドラッカー 「プロフェッショナルの条件」)
いま、「組織(会社)」と「人」の関係が大きく変わる時代の真只中にあります。このコラムでも再三書いてきましたが、「知識労働者」という言葉は本当に重要なキーワードです。簡単にいえば、私たちがビジネスでやり取りするプロダクトは、目に見える「モノ」から目に見えにくい「知識、知恵」に変化しています。たとえ「モノ」を提供している会社であっても「サービス、ブランドイメージ、そのモノを使った様々な人生の楽しみ」といった「知識・知恵」の質が結果を大きく左右する時代です。
その「知識、知恵」を生み出している人材が「知識労働者」です。ドラッカーの言葉を借りれば、「知識労働者」とは、
「知識という生産手段を自ら携行し、組織内外を自由に移動する」
人たちでもあります。多くの先進国で、この知識労働者の「寿命」はどんどん伸びる一方で、「会社」「事業」の寿命は短くなっています。だからこそ、私たちは「会社組織の役職定年や人事異動」に縛られるのではなく、「知識労働者としての自分自身」のキャリアを自ら決めていく必要があります。そうすることで、55歳、60歳を過ぎた後も、生産的に自分らしく、自分のペースで仕事をし続けることができます。
会社も、ビジネスも、仕事も、短期間で姿を変える時代
芸人としてだけでなく、近年は絵本作家はじめ多種多様なフィールドで活躍する、お笑いコンビ「キングコング」の西野亮廣さんは、著書の中でこう語っています。
「こんなことを言うと先輩方から怒られるかもしれないけれど、僕より上の世代は、僕より下の世代のように『職業に寿命がある』という体験をしてこなかった。多くの大人は『職業は永遠に続く』という前提で話を進めてくる。だから、すぐに、『お前は何屋さんなんだ!?』と肩書きを付けたがる。」
(西野亮廣著「革命のファンファーレ」より)
お笑い芸人という仕事も、以前に比べかなりバラエティーに富んできました。ワイドショーなどの情報番組MC、俳優、作家、スポーツキャスターなど、その活躍の場がどんどん広がっています。このような変化の中で、画一的な「職業定義」にとらわれることの危険性を西野さんは訴えかけています。
当然、お笑い芸人だけでなく、飲食業、金融機関、宿泊業、製造業、鉄道・輸送機関など、あらゆる業界でビジネスの形、仕事の形がどんどん変化しています。そのような現実の中で、「自分自身」のキャリアや人生を自ら定義して、マネジメントできる人は、60歳、70歳を過ぎてもますます生産的に働き、成果も、仲間も増やすことができるようになります。
たとえば、池上彰さんというジャーナリストがいます。今はテレビで見ない日がないほど活躍している池上さんは、元々NHKの記者としてキャリアをスタートさせ、約30年間大組織で仕事をしました。「週刊こどもニュース」で子供にもわかりやすくニュースを伝えるその能力を開花させ、50代半ばでフリージャーナリストに転じた後も、様々な時事ニュース解説、多数の著書執筆、また複数の大学で教鞭をとるなどの活躍で、年を重ねるごとにますます生産的に仕事をされています。
池上さんは、NHK退職後に時間ができたため、放送大学で講座を受け知識を学び直されたといいます。現在でも、毎日複数の新聞や書籍を読み、さらに現地での徹底した取材から新しい知識を貪欲に吸収している、まさに知識労働者です。その池上さんの活動から生み出される経済効果は相当の規模です。50代あるいはその前から、ご自身の関心、強み、能力の発揮の仕方を徹底して考え抜いてこられた結果、今の活躍があるのでしょう。
もうお一人、実業家の出口治明さんの人生も、まさしく「知識労働者」的です。出口さんも日本生命相互保険会社という巨大企業を50歳代で退職され、ライフネット生命というベンチャー企業を開業し、代表取締役会長として活躍されました。同時に、大変な読書家でもあり、特に「歴史」に関する深い教養で知られ、著書も多数出版されてきました。2018年1月からは立命館アジア太平洋大学の第4代学長に就任し、70歳で大学経営という新しいフィールドでの挑戦を始められました。
ドラッカー自身もそうですが、ここで紹介させていただいた皆さんは、組織や業界の常識にとらわれず、何歳になっても常に新しい挑戦をしながら生産的に働いています。その秘訣はどのような点にあるのでしょうか。
「会社」から「自分自身」へ
共通するのは、「組織が」という主語ではなく、「自分は」という主語で、早い時期から第二の人生(ネクスト・キャリア)の準備をされていたことです。それは簡単なことではありません。大企業であれ、中小企業であれ、ずっと慣れて続けてきた環境から視点を一旦離し、「自分自身はどうしたいか、何ができるか」という問いに答えることは大きなストレスを伴うからです。
私のクライアントのお一人で、親しくお付き合いさせていただいている方は、ある著名企業で役員を務められながら、50代の後半から熱心に「第2の人生を、自分らしくいきいきと生きる」ための方法を探っておられます。会社内でのポジションに甘んじず、積極的に社外の学びの場に参加し、親子ほども年の離れた若者や起業家たちと議論し、そこからも謙虚に学ばれている姿勢には頭が下がります。その方を見ていると、そういった「社外」での自己研鑽が、結果として、会社での実務にも生かされて成果が上がっているように感じます。
その方に今回のテーマについてご意見を聞いたところ、以下の率直なコメントをいただきましたので、ご紹介します。
「今まで自分を守ってくれていた枠が外されたときに、如何に会社という存在が有難かったかを真に理解できる気がします。まさに、親離れを40代、50代で再経験するようなものです。今まではある意味親のすねをかじっていたようなものだと認識するのです。その親から(様々な事情で)独立せざるを得なくなるときが必ずくるわけですが、親という後ろ盾がなくなると、さてさて、『自分って誰?』という問いに直面し、急に背中が寒くなるという無力感に襲われます。」
さらに、以下のコメントには、「会社組織」という枠から出て「自分自身」を定義し直す経験につきまとう不安感が表れています。
「会社を絡めた文脈でしか自分という人間を語れないことに唖然としました。そこで、自分を再定義するには、基準が必要なことに気づくのです。会社には、上司/部下/同僚/資格/肩書きなどの自分を相対化できる基準があふれていました。しかし、会社外ではそのような基準は通用しません。私は、自分を相対化するために、積極的に会社の外に出ようと決意しました。」
人生100年時代と口で言うのは簡単です。しかし、年齢に拘らず、自分が慣れ親しんだ仕事、組織、職場を超えて新しい仕事の可能性を開拓して行くことには、常に恐怖と不安がつきまといます。知識労働者として「自らの人生をマネジメントする」と決めた方は、勇敢にその壁を超えて行くのです。
年齢を重ねても生産的であるための5つの条件
最後に、年齢を重ねても生産的であるための条件を5つまとめてみました。これも、ドラッカーの考え方に学びながら、多くの実践者に共通する思考・行動習慣を観察してまとめたものです。
①早い時期から、会社以外の場で自分を「相対化」する
知識労働者の人生を通じた活躍の場は、今の仕事・組織を超えて無限に広がっています。40代や50代の早い段階から、積極的に社外の人と交流し、年齢や職歴を気にせずともに学び、語り合う経験が大切です。そうすることで、閉じた世界の中で「絶対化」していた自分という人間の資源を「相対化」することができ、自分の強み、能力、関心、価値観を探ることができ、人生を通じて追いかけたいテーマも見えてきます。
②「自分という資源」の生かし方を決める
「答えるべき問いは、正確には、何をしたらよいかではなく、自分を使って何をしたいかである。」
(ドラッカー 「断絶の時代」)
ドラッカーのこの言葉の意味していることは何でしょうか。ついつい私たちは、「自分は何をやりたいのだろう?」と考え続けてしまい、答えにたどり着けません。しかし、「自分を使って何をしたいか?」と考えたらどうでしょうか。自分自身という希少な「資源」に意識を向けることができます。その「自分」という資源を使ってどんな仕事をして行きたいのか、どんな貢献ができるか、と考えることができます。ここから、自分自身が心からやりたい仕事、やるべき仕事も見えてきます。
③「捨てる」決断をする
「忙しい人たちが、やめても問題のないことをいかに多くしているかは驚くべきほどである。楽しくも得意でもなく、しかも古代エジプトの洪水のように毎年耐え忍んでいるスピーチ、夕食会、役員会が山ほどある。なすべきことは、自分自身、自らの組織、他の組織に何ら貢献しない仕事に対しては、ノーということである。」
(ドラッカー 「経営者の条件」)
ドラッカーは、年齢を重ねるごとに、「何をやらないか」を厳格に決めていました。限られた時間で生産的であるためには、「何をやるか」以上に「何をやらないか」の意思決定が決定的に重要だからです。これも、自分を相対化し、自分という資源の活かし方を知ることで初めてできることです。
④自分を「再教育」(Reeducate) する
ドラッカーは、生産的であるために、二つの「学習」が必要だと言います。それは「ラーニング(Learning)」と「アンラーニング(Unlearning)」です。最近は、60歳前後で退職された後に大学や大学院で学びなおす人が増えています。前述の池上彰さんもそのお一人でした。このような新しい知識の「ラーニング」と同様に必要なのが「アンラーニング」です。すなわち、自分に染み付いている固定概念や常識の中から、思い切って捨てるべきものを捨てるということです。この「アンラーニング」のためにも、上述のとおり社外に積極的に出て「自身を相対化する」ことが不可欠です。
⑤「何をもって覚えられたいか?」に従って日々生きる
セルフマネジメントにおけるドラッカーの基本的な問いが、「あなたは何によって憶えられたいのか?」という問いかけです。この問いに答えを出せるのは、会社でも、上司でも、家族でもなく、自分自身だけです。年齢を重ねても生産的に仕事をし続けている人は、年を重ねるごとにますます、この問いに誠実に向き合って働いているように見えます。きっと、その一貫した姿勢が、多くの共鳴・共感を集め、賛同者や協力者が増え、結果としてますます仕事が生産的になっていくのでしょう。
(第6回 終わり)
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