50分のうち30分も教師が話をしたら時間がもったいない

山本:もちろん、ずっと放しっぱなしにしているわけではなくて、教師がお題を与えて生徒たちが練習するということを繰り返していく。最終的には50分の授業時間のうち、僕は5分ぐらいしかしゃべってないという感じになります。英語は特に、習うより慣れる感覚で口を動かし続けたほうが定着がいいので、たった50分の授業時間のうち30分も教師が話をしていたらもったいないなと思うんです。

 学年の3学期には、「君たちに授業してもらうよ」と生徒たちに授業をさせます。今日の授業みたいな形です。彼らが学んできた経験を生かして、こんな問いを立てたらおもしろいとか、いろいろな授業をやります。もちろんつまらないのもあります。だけど次はおもしろいのをやってやろうと生徒たちが考えると、授業の受け方も能動的になってきます。この先生の授業は何でおもしろいんだろうと考えるようになります。

藤原:「教えない授業」というと、すべて教えないと勘違いしちゃう人もいると思いますが、たぶんそうではないでしょう。何も教えなかったら学力は下がるだろうと思う。そうではなくて、きっちり教える部分はちゃんとあるんですね。

 教師が教えることというのは、具体的には何になりますか? 例えば中学生のときであれば、I、my、me、mineの変化を覚えさせるとか。

山本:まずは先ほど申し上げた分からないことがあったときの「学び方」です。それから、文法は教えなきゃいけません。

藤原:そうでしょうね。

山本:だけど、文法ももう今は教科書を読めば分かるんですよ。例えばBe動詞の疑問文とかcanの使い方、あるいは疑問文の作り方ですね。それなのに教師は、文法についてわざわざ板書する。

藤原:はいはい。

山本:だから僕はそれはやらない。中学校の英文法のルールぐらいは、もう生徒たちは賢いから分かるんですよ。「先生、それ、教科書に書いてあるじゃない」と。だから僕は、書いてあることを時間を取って、もう1回板書してノートに書かせるということはしないです。

 その代わり、じゃあ、君たちでcanの使い方を一枚の紙にまとめてね、一番いい作品をプリントとして採用するから、ベストなプリントを作ってきてねと言います。一番いい出来のものをコピーして配るのですが、生徒たちは何でこれは選ばれたんだろう、あんなに頑張ったのになぜ僕のは選ばれなかったんだろうと考え始める。

都立両国高校附属中学校1年生がまとめた「can」のプリント

 そのうえで「じゃあ、せっかく作ってきたから説明してくれない?」と、僕の役割を生徒に移していく。そうすると教師は少しフォローするぐらいで十分になります。

 結果的に文法を教えているんですけれども、教えていないように生徒に感じさせるというか。たとえ僕が生徒たちが作ったプリントを使って説明していても、先生が作ったプリントというレールに乗っているんではなくて、僕たちが作ったレールに先生が乗っていると感じる。そこがすごく大きな違いだなと思います。

藤原:なるほど。

大事なのは生徒に安心して失敗させること

山本:生徒に授業をやらせたのは、実は生物の先生のほうが先でした。僕より10歳若い、チャレンジングな先生が同じ学年にいるんですけれども、彼に「山本先生、今度生徒が先生役やるんですけど見に来ないですか」と言われて。

 「やられた」と思いましたね。授業を見たら本当に多様で、そこまで調べてきたのかと驚くような授業なんです。これは負けていられないなと思って、英語の授業でも始めたのです。

 教師が教えることを手放し始めると、生徒らは自分たちで授業する時間を楽しむようになってくる。たとえ英語が下手で、説明するのも下手な生徒であっても、みんな聞くんですよ、すごく。自分も教えることの大変さを経験しているので、お互いに補完し合いながら、すごくいい雰囲気が生まれる。そこに僕はいらないんです。そして、ここで僕が教えることがあるとしたら何なのかということを考え始めました。

 それは何か。生徒の間違いを正すのも大切なのですが、さらに大事なのは安心して失敗させるということです。そして、その失敗を乗り越える援助をする。続ける意欲というか好奇心を高めるようにする。もっとこういうやり方があるよとか、今回の使った文法書はこれだけど、ほかにもこんな本も出ているよとか、そういう刺激を与える。ちょっと話はそれますが、今の子供たちは何でも与えられ過ぎていると思うんですよ。

藤原:はい、何でもね。