(写真=123RF)

 最近は、合併・買収・統合など、企業のドラスティックな再編が多くみられるようになりました。これらは、言わば「外科的手術」です。人体と同じくそこで働く人たちにもアレルギーのような拒否反応が起こり得ます。このような時こそコミュニケーションが重要であり、「聞くこと」「対話すること」が有効です。今回は、「まったく異質な人たちと仕事しなければならなくなった時に、どうすればよいのか」について考察します。

組織にも「アレルギー反応」がある

 最近は、合併・買収・統合など、企業のドラスティックな再編が多くみられるようになりました。これまでライバルとして激しく競争してきた人たちと、合併して同じ会社で一緒に仕事をする。こんなことが現実に起こるようになりました。

 「マーケットが縮小するのだから、供給も減らして当然。となれば、同業同士で合併するのが合理的だ」という理屈はわかるものの、そこで働く身としては、なんだか釈然としないものです。人体と同じく組織でも、異質なものが入ってくるとアレルギー反応が起こります。実際に、ある銀行では、今でも出身行ごとに色分けして人事を行っていると聞きます。合併から数十年経っても融合せず、分離したままだということですね。

 人間の脳は「カテゴリー」に分けてものごとを理解しようとするクセがあります。これは一種のエネルギー節約法で、「一括りにすることで、大体わかったつもりになる」わけです。たとえば、筆者の経歴を見ると多くの人が「ああ、リクルート出身ですか」と言ってわかったような顔をします。うーん、リクルート出身者にもいろいろな人がいるんですけどねぇ(苦笑)。

私たちは本能的に「敵か味方か」に分けてしまう

 このカテゴリー分けで、最も原始的なものが「敵か」「味方か」という分類です。長い人類の歴史の中で、「目の前の相手は、敵か味方か」という判断は生命にかかわる大問題でした。そのため、私たちは生まれながらにして、そういう分類をするクセがついています。困ったことに、このクセと偏見が組み合わさると、敵を攻撃しようとする衝動につながってしまうのです。

 皆さんは、「自分が偏見をもっている」という認識がないかもしれませんね。しかし、私たちは知らないうちに偏見を抱えています。わかりやすいのが食文化で、昆虫を食べるのを奇異に感じる日本人は多いと思います。でも、日本人がタコを食べるのを奇異に感じる外国人はたくさんいます。彼らにとって、魚の活け作りや踊り食いなんて、もう残酷以外の何物でもありません。この段階では、まだ「偏見」というより「価値観の違い」で済まされます。

 価値観の違いが「敵」というカテゴリー分けと組み合わさると、相手に対する偏見がポンと生まれます。「まだ生きている魚を喜んで食べるなんて、なんて野蛮なヤツらなんだ」。こうした偏見が積み重なると、相手がまるで悪魔のように思えてきます。さらに、何かのきっかけで対立したりすると、攻撃しようとする強いエネルギーが発生します。このエネルギーによって敵を打ち負かし、生き延びてきた人たちの子孫が、現代の私たちなのです。

 敵か味方かに分類し、敵に対して偏見をもち、その偏見を理由に激しく攻撃する。これは人種や文化に関係なく、人類が根源的に抱えている特性だと認識してください。政治家は、こうした特性を利用して票を集めます。わかりやすい例がドナルド・トランプ米大統領。彼は移民に対する偏見を煽って白人中流層の支持を集めて大統領になりました。現代でも、先進国でも、こうした人類の特性は脈々と受け継がれているのです。