僕はエリートと非エリートの境目がはっきりとあると考えているんだ。しかも、この差は今後もっと広がっていく。日本の教育現場ではほとんど話されないことだけれど、海外でははっきりとその差を見てとれる。街中でも、職場でもね。
日本はワーカーとレイバーが区別されていない
ビジネスにおいては、ワーカー(worker)とレイバー(labor)という言葉がある。ワーカーは仕事をする人たちだ。ここでは簡単に、新しい仕組みを創り出したり、これまでの手法に工夫を加えたりしていける人たちと定義しよう。レイバーは、ワーカーが組みあげた仕組みの中で作業をする人たちだ。
海外では、両者は明確に区別されている。ところが日本はこの区別があいまいだ。東大を出て一流企業に入ったのに、数カ月から、場合によっては何年も工場や店舗に配属されて、パートの人たちと同じ作業をする。つまり、ワーカーであるべき人が、レイバーの仕事をしてしまっているんだ。
誤解を恐れずに敢えて言わせてもらうと、折角ワーカーになる素養を持っているのに、レイバーに甘んじている人は、ものすごく損をしている。
その理由の一つが、日本においてレイバーが求められる場所はどんどん減っていくという事実だ。安い賃金で働く海外の労働者やIT技術などによって、これまで日本人レイバーが担っていた作業を請け負っていく。ずっと昔から言われているけれど、実感を持っている人たちは少ない。でもこれは現実だ。レイバーとして「そこそこの暮らし」を享受することは難しくなり、貧しい生活から抜け出しにくくなる。ワーカーとして働ける可能性を持っていたとしても、一度レイバーとしての働き方が定着すると、そこからワーカーに転身するのは容易ではない。
僕にとっては、人工知能の発達は、人間を単純作業から解放してくれる素晴らしいツールだけれど、その単純作業で生計を立てている人たちにしてみれば、失業危機と言っていいだろうね。
今は中堅以上の企業に勤めて数百万円の年収をもらっていたとしても、ワーカーとしての働き方ができていないなら、5年後、10年後も同じ水準の報酬を得られる保証はない。極端な話、無職になる危険と隣り合わせだ。さらに、いざそうなれば、再就職も独立もできない。独自の能力や技術、お金や人脈などの資産を持っていないからだ。
大手家電メーカーを解雇された人たちの一部は再就職先が見つかっていない。このことはニュースを見て知っているはず。それと同じことが自分の身に降りかかってくる。彼らが特別怠けていたわけではない。ワーカーになり切れていない人の中で、運が悪かっただけだ。
残念ながら日本企業にはもう、会社にぶら下がる社員を支える余力はない。ワーカーとして働けなければ、我々日本人が考えている“普通の生活”を送ることすら叶わない時代になってしまうだろう。世界規模で商売をしている経営者として、これは断言できますな。
編集:会社や組織のためではなく、自分の能力を磨くために、一生懸命働くべきという話に聞こえます。
牧野:その通りだね。ただ、自分の能力の中に組織マネジメントや上司とのコミュニケーションといった能力は必然的に入ってくる。独創的な仕事もできず、組織マネジメントに長けているわけでもない。そんな40歳過ぎの人物を、経営者が欲しがると思うかい?
編集:思いません…
諦めが早いのは一生の損
牧野:20代の会社員に対して、僕からのアドバイスは、少なくとも今所属している会社の同期の中で、一番を目指さなきゃいけないということだ。
例えば、甲子園に毎回のように出場する高校野球の強豪校だって、全員がプロにはなれない。4番と投手を任されるような、チームで断トツにうまい選手だけが、プロに挑戦できる。だから、まずはその集団の中で一番を目指さないと次は見えてこないんだ。
最近の人はとにかく諦めが早い。オジサン目線で若い人を責めたいわけではないけれど、これからの日本で諦めるクセがついていると実にマズいことになるだろうね。
このクセは、個人の性格や心がけだけの話ではない。世代の特徴として、諦めやすさを持っている。だからある程度は仕方ないし、自覚できれば修正できる。安易な諦めは一生の損だよ。
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