(「交渉」をテーマにした前回はこちら)
バングラデシュのテロ事件、トルコのクーデター未遂と事件が相次いだのを受けて、身の守り方についてお話しした。今回は再び、交渉に話を戻す。交渉においては、時には「譲れない一線は譲らない」ことで、一旦交渉を仕切りなおす判断も必要という話をした。一方、どうしても決裂させるわけにはいかない交渉もある。
例えば、武装勢力から子どもたちを解放するための交渉だ。紛争では子どもたちが無理やり誘拐され、子ども兵として使われることがある。そんな子どもたちは逃げる手段もなく、大人の兵士から虐待を受け、命の危険にさらされる場合も少なくない。
このような交渉は、一度の協議で合意することはほとんどない。そもそも、「子ども兵士なんて我々のところにはいない」と全否定されることもある。交渉が完全に決裂して、次回の協議が行われなくなる事態は避けなければならない。
子どもたちにとっては一週間、一ヶ月の遅れが人生を左右する。仮に数年後に交渉を再開する機会が巡ってきたとしても、子どもたちがその時まで生きている保障はない。このため、コンスタントに協議を重ね、相手の「期待値」と「恐れていること」を探りながら落としどころに持っていく必要がある。
相手が懸念しているのは何か
何より優先すべきなのは、子どもたちの身の安全だ。最終的なゴールが「解放」であっても、交渉の間に子どもたちが不当に扱われることがないよう、相手の懸念を突き止め、それを打ち消していく。多くの場合、司令官たちは子ども兵を使っていることが知られた場合に、自分に罪が課せられるのではないかと心配する。「非があるとみなされている」と少しでも感じると、相手は交渉のテーブルにつくことを避ける。交渉の目的が犯人探しではなく子どもの安全であることを強調する姿勢を貫く必要がある。
このため、多くの解放交渉は秘密裏に行われ、解放に応じたら罪は問わないし、非難もしないと事前に合意することもある。
解放に至るまでのステップとしては、子どもたちがそこにいることをまず認めてもらうことだ。そして人数を確認する。一部の子どもと面会させてもらう。一定の年齢以下の子どもだけでも解放してもらう。そして、最後には全員を解放してもらう。 一連の交渉のなかで可能であれば、子どもたちの待遇を改善してもらう場合もある。
実は、子どもと初めて接触できたときや、一部の子どもが解放された際には、いっそうの注意が必要だ。武装勢力にとって不利な証言を子どもたちにさせたりすると信頼関係が崩れ、次の段階に交渉を進めることができなくなる。
南スーダンの少年兵
7年ほど前に南スーダンで、ある少年を解放するための交渉に携わった。この少年は、10代半ばのときに家族が殺され、復讐のため武装勢力に参加した。しかし、そこでの生活は自分が考えていた以上に過酷で、まもなく後悔した。だが、辞めたくても上官がそれを許さない。そのまま数年が経ち、内戦が終結した。


少年は内戦終了後、警察傘下の自警団のもとで下働きをする日々を送っていた。現地NGOが彼を解放するために動いていたが進展しない。そんなとき、日本紛争予防センターの南スーダン事業を開始するため現地に滞在していた私に、そのNGOから協力依頼があった。
少年は、最初は私と話すらしてくれなかった。誰も現状を変えることができない現実に絶望していたようだ。だが、何度か交流を続けるうちに徐々に心を開いて夢を語ってくれるようになった。「今の生活をやめて学校に行きたい。そうしたらパイロットにも医者にもなれるかもしれないでしょう?」。
私は、彼の直属の上司である自警団のリーダーとまず交渉した。はじめ、のらりくらりと答えていた彼は最終的に「自分に決定権はない。あるのは地元警察の司令官だ」として司令官の名前を挙げた。
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