住民たち自身が維持できる仕組みを作る

 加えて、「支援が終了した後に住民たち自身が維持できる仕組みを作る」という日本紛争予防センターの方針を大事にした。住民たちが「誰かが助けてくれるまで待つしかない」と考え、何年経っても外部の支援を待ち続ける姿を数多く見てきたからだ。この方針を曲げてしまうと、日本紛争予防センターで働く現地スタッフが別のプロジェクトを行う時に、大事にすべきポイントを見失ってしまいかねない。相手の主張に押されて、プロジェクトを迷走させてしまう恐れがある。

 結局、近隣の別の被災民の集落で住居を建設することになった。その集落でも、自分たちで建設に携わったり資材を調達したりすることに当初は不満の声があった。しかし、協議を重ねて合意し、住居建設を始めた。プロジェクトでは自分たちで住居のメンテナンスをする方法や、住民から少額ずつお金を集めて将来の修理費を貯蓄する方法の研修も実施した。住民たちは徐々に、効率的に復興を進めるにはどうすればよいのか、村の将来について自発的に話し合いをするようになった。

被災民の住居建設:住民たちで協力して住居をつくることで、自分たちが新しく村を再建するという主体意識が生まれた。

 500人の住民向けの住居建設が無事完了した数カ月後、この集落を視察に行った。すると、村長の家の屋根には小さなソーラーパネルが乗っていて、携帯電話を充電しながら出迎えてくれた。驚く私に村長は、「住民で話し合い、復興を進め、野菜や作物が育てられるようになった。そこで、商人に連絡して村の収入を増やそうということになった。村の基金で携帯電話を買った。代表して私が管理しているんだ」と話してくれた。

完成した住居:二部屋ある家なので、男女の子どももプライベートを確保して着替えなどができる、と喜ばれた

 初めて住居建設の話し合いをしたときに「被災した自分たちにできることなんてない」と小さな声でつぶやいていた弱々しい姿はどこにもなかった。

 ちなみに、住居建設で交渉が決裂した集落とは後日談がある。自分たちの希望する住居を支援してくれるところがなかなか見つからず、結局一階建ての石造りの家で妥協したとのことだった。

 その後、日本紛争予防センターが支援した集落がその後復興を進めているとの噂を聞き、機会があったら一緒にプロジェクトをしたいと希望してきた。この集落とは、鶏や家畜を飼育して収入を増やす事業をすることになった。今度は事前の協議で折り合いがつき、住民主導で持続性のある活動を続けている。私たちが核となる方針を貫き、その意義が理解されれば、一度は決裂した関係が復活することもあるのだ。