だが、紛争で多くの犠牲者を生んだ司令官に見返りを与えることが倫理的に正しくないこともある。本来は政治的力量に応じて任命されるべき役職に、不適切な人物を別の理由で就任させることが、その社会に負の影響をもたらす可能性もある。交渉で提示する見返りは、「これ以上の譲歩は和平や社会全体に不均衡を生じさせる」というしきい値の手前で踏みとどまる必要があるのだ。
アフガニスタンで武装解除に取り組む
したがって、難度の高い交渉ほど、メリットを提示するだけでは頭打ちになる。そんなときには、「交渉に応じないと既得権益を失う」というデメリットを併せてつくる必要がある。
私が過去に行った交渉のうち、極めて難易度が高くメリットとデメリットの条件設定を綿密に行ったのは、アフガニスタンで6万人規模の武装勢力の解体を担当したときだった。当時の私は27歳。日本の外交官としてプロジェクトに加わった。
当時のアフガニスタンは、9・11の米同時多発テロが起きた直後。米国はテロの首謀者であるうサマ・ビン・ラディンをかくまっているとの疑いで、アフガニスタンの政権を握っていた武装勢力タリバンを攻撃した。このとき、米国に協力したタリバン以外の現地の武装勢力は、タリバン政権を倒した勝ち組になった。

そして、タリバンがいなくなったあとのアフガニスタンを再建するため、正式な国の軍隊を新たにつくることが決められた。これに伴い、日本の戦国時代のように各地の拠点で争い合っていた武装勢力はいったんすべて解体することになった。
当時のアフガニスタンには、最高峰の将軍クラスの司令官が十数人。その下の中堅司令官が約300人、一般兵が6万~10万人。解体すべき部隊の数は約200あった。
「あなたの武器と部下を手放してください」と言われて、「わかりました」と素直に応じる司令官はいなかった。司令官であることで得られる社会的地位は絶大だ。さらに、利権を元手にビジネスを手広く行っている司令官もいた。スイスの銀行に隠し資産を持っていると噂される者もいた。ちょっとやそっとの社会的・金銭的見返りでなびくはずはなかった。
一般の兵士たちは、再就職できるのであれば軍を出てもよいとする者が多かった。彼らのために建設業や洋裁、農業などの職業訓練を用意した。しかし、司令官が首を縦に振らない限り、部下の兵士たちが勝手に投降することは認められない。そのため、まず司令官に限定した以下のインセンティブをつくった。
司令官向けのメリットを用意
<武装解除に応じるインセンティブ(メリット)>
1)司令官を退く代わりに社会的地位のある政治職を与える(大臣、県知事など)。
2)ビジネスの分野でセカンドキャリアを始めるための起業支援を与える
3)司令官個人では取得が困難な先進国の入国査証(ビザ)を得られるよう便宜を講じる
上記のうち1)は、先に述べたように、司令官が戦争犯罪を犯していないか、適正はあるか、適切な要職に空きがあるかといった要素に左右される。また、政権運営に関わることなので、最終的にはアフガニスタン政府が決めることであり、国際社会が口出しすべき問題ではない。そのため、アフガン政府には「この司令官からこんな希望があった」と伝えるにとどめ、司令官にも「希望しても約束はできない」と答えていた。
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