そもそも会うことが困難なことも

 外務省や国連に勤務していた時代は、通常の話し合いであれば、こちらが申し出ればアポを取ることができた。私の所属や肩書を相手が知った時点で、何もしなくても一定の信頼を持ってくれた。

 しかし、相手に交渉のテーブルについてもらうことすら難しい場合もある。こちらが相手に用があっても、相手は、こちらと話す価値があると見なさない。もしくは警戒する。そうなると会うことすらできない。この壁を突破するためには、相手を身構えさせている要素をクリアーするための対策が必要となる。

 私が経験した中で、この「会う」ハードルが最も高かったのが、西アフリカの紛争国シエラレオネを初めて訪問したときだった。ちなみに当時、この国の平均寿命はなんと34歳で「世界で最も寿命が短い国」と呼ばれていた。10年以上にわたる紛争で多くの大人が戦死したためである。

 当時24歳で大した肩書も持たない私は、知人もいないこの国で2週間以内に大統領顧問に会い、現場視察の許可をもらう必要があった。

 勤めていたNGOがルワンダで行っていたプロジェクトを終え、日本に帰国する準備をしていた私は、兵士の武装解除がシエラレオネで開始されると報道で知った。武装解除は、将来的に専門にしたいと思いながら、情報がほとんど手に入らない分野だ。アフリカを離れる前に実態をぜひ知りたかったのだ。

 現地で武装解除を行っていたのは大統領直属の担当部署と国連PKO。ここの許可がなければ情報は手に入らない。むろん、つてなどなかった。何の肩書きも持たない私のために時間を割く意義を、担当者が見出すとは思えなかった。

 国連PKO部隊の所在地を調べると、ある大規模ホテルを借り上げて事務所にしていた。ホテルに電話しても担当者名が分からないため取次いでもらえなかった。

 調べを続けるうち、数百ある客室のうちごく一部を、国連本部から来るVIPが宿泊できるよう客室として残してあること、VIPが泊まらない時期のみ一般に貸出をしていることが分かった。そこで、無謀ではあったが、宿泊客としてホテルに入り、担当部署を直接訪問してみようと考えた。

 このホテルの当時の宿泊費は一泊2万円以上。一方、当時の私は月収9万円の生活。20万円以上する航空券も買わなければならない。そのホテルに泊まると日本に帰国した後の生活費がほぼゼロになる。だが、一晩悩んだ末、そのホテルに予約を入れた。未来の自分にとって負債となるか投資となるかは、自分次第。自分にそう言い聞かせながら、ルワンダを発ち現地入りした。

同じホテルに滞在することで身内感高める

 ホテルの警備は厳重だったが、宿泊客としてホテルに入ると国連PKOの各部署にアクセスするのは自由だった。受付で教えてもらった武装解除の担当部署に向かい、ドアをノックした。

 出てきた白人の国連兵士は、最初はかなり警戒していた。内戦中のこの時期にアポ無しの一般人、しかも珍しい日本人の女性がやってきたのだ。日本は途上国に対して盛んに支援をしていたが、当時、シエラレオネに日本大使館はなかった。日本人は現場に一人もおらず、未知の存在だった。

 しかし、私がそのホテルに泊まっていることを伝えると反応が変わった。私をそれなりのステータスの人間と思ったようだった。そして、武装解除について提案を含めて話がしたいこと、ホテル内の内線電話で連絡がつくこと、短くても時間が取れた時にすぐに来られることを伝えた。同じ環境にいることで身内感が高まった。手軽に連絡が取れることも良かったのだろう。この白人兵士はその後すぐに連絡をくれた。