「20代のうちだけで5回以上転職しました」と言われたら、皆さんはどんな印象を持つだろう。日本だとあまり好意的には受け取られないかもしれない。実はこれは私自身のこと。30歳までに以下の組織で勤務した。
1)NGO(ルワンダ)
2)国連PKO(シエラレオネ)
3)日本の外交官(アフガニスタン)
4)大学(日本)
5)国連PKO(コートジボワール)
6)NGO(日本:日本紛争予防センター)

ありがたいことにどの転職も、「一緒に働こう」と転職先から声をかけてもらった。30歳になった直後に、現在勤めるNGO(日本紛争予防センター)の事務局長に就任。ここで過去最長の9年間勤務している。
紛争地で働く人材にとって、数年単位で転職するのはよくあることだ。過酷な勤務環境に長居しすぎて燃え尽きてしまう人がいる。現地の復興が進み、自分の専門性が求められるフェーズが過ぎたので、新たな勤務地を探すケースもある。
私の場合、もともと20代のうちに何回か転職しようと決めていた。判断するうえで重視した要素は、転職する「目的」と「順番」だった。
私にとっての転職する「目的」は、どんな組織や環境においても、所属や肩書に頼ることなく成果を上げられるスキルを早いうちに身につけることだった。自分で解決できることが増えるほど、現場を救うことができると思っていたからだ。紛争後に元兵士たちの武装を解除するという専門を軸に、NGO、国連、外務省と、それまでに経験したことない職場にできる限り転職した。
どの組織でも成果を出せる人間は、現場のあらゆる問題に対処できる本質的な力を持つ。皆さんが「この人は優秀だ」と感じる人を思い浮かべてほしい。その人は、他の企業や異なる業種でもうまくやっていけるだろうし、一緒に働きたいと思わせる人ではないだろうか。
ルワンダに暮らす人を助けたかったが…
私が本質的な力を持ちたいと思ったきっかけは、大学生になって初めて紛争地を訪れたときだった。アフリカのルワンダで1994年に起こった大虐殺を、当時、高校生だった私は新聞の記事で知った。これをきっかけに、私は紛争地で働くことを目指すようになった。
最低限の英会話を身につけ、ルワンダのことを自分なりに勉強。虐殺から3年たった大学3年生の夏休みに満を持してルワンダを単身訪問した。何かしらボランティア的な貢献が現地でできるだろうと淡い期待を抱いていた私を待っていたのは、「自分は何の役にも立たない」という現実だった。

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