2007年に当時勤めていた国連を辞め、日本紛争予防センターで働くこととなった。「第2次大戦後の焼野原から復興を成し遂げた日本から学びたい」との声を紛争地で聞く機会が非常に多い。しかし、実務的な平和構築に取り組む専門団体が日本にはなかった。この状態を変えたいと思ったからだ。

紛争地にもビジネスにも共通するスキル

 様々な国で武装解除、平和構築に携わる中で、支援プロジェクトを設計・運営したり、武装勢力や現地住民と交渉をしたり、転職をしたりしてきた。この連載では、こうした経験を、エピソードを踏まえてご紹介したいと思う。取り組んだ環境は「紛争地」という特殊なものだが、プロジェクト管理や交渉、転職はいずれも「一般のビジネス」に通じるものがある。

 加えて、これから海外でビジネスに取り組もうという皆さんの参考になる部分も数多くあると思う。テロの脅威はアフガニスタンやイラクなど特定の国や地域にとどまるものではなくなった。欧州で無差別テロが拡大している。海外で活動するときいかにして安全を保つか、これにはいくつかの約束事がある。

ケニアの平和構築:紛争の芽は小さいうちに摘む

 初回である今回は、筆者たちが現在取り組んでいる平和構築活動の一端をご紹介する。取り上げるのはケニアでの活動だ。

 ケニアでは、2007年末に大統領選挙が行なわれた直後に大惨事が発生した。異なる部族出身の大統領候補たちが、激しい選挙活動を繰り広げた。そして自らの属する部族に選挙演説を行うたび、攻撃的な言葉で他の部族を打倒するよう煽ったのだ。これが暴動につながった。とくに、日頃から生活苦や不満のはけ口を探していた若者たちが多く住む貧しいスラム地域で、暴動が激しかった。部族対立に端を発するこの暴動により数千人が亡くなった。土地を追われた30万人以上が避難民となった。

ケニアで2番目に大きいマザレスラム。異なる民族出身の推定40万人の貧困層の人々がひしめき合って暮らしている
ケニアで2番目に大きいマザレスラム。異なる民族出身の推定40万人の貧困層の人々がひしめき合って暮らしている

 筆者は暴動の際に調査のためケニア国内に滞在していたため、対立する約40万人(推定)が住むスラムで2008年に事業を立ち上げた。翌年には被害者への心のケアを行う現地カウンセラーを育成する取り組みと、およそ10箇所にセラピールームを設置する作業を開始した。現地では「うつ病」や「心の病」についての理解や専門家が圧倒的に不足していた。トラウマや恐怖で日常生活を送れなくなった被害者を家族ですら理解できない状況が起きていた。