「オトコが育児に参加するのが当たり前」の時代に変わりつつある。旬の経営者や学者、プロフェッショナルたちも、自らの育児方針や育休取得についてパブリックに言及することが増えてきた。優秀なリーダーたちは、我が子にどんな教育を与えようとしているのか。また自身はどう育てられたのか。そしてなぜ、育児について語り始めたのか。
連載4回目に登場するのは、住宅購入時の情報を一括管理できる個人向けマイホームアプリ「knot(ノット)」と、中小工務店向けの住宅用OS「v-ex(べクス)」を開発し、2018年4月から全国展開するSOUSEI社長の乃村一政氏。8人の子どもを育てる父親でもある。子だくさん社長は普段、どのように育児に当たっているのか。今回はその前編。
乃村一政氏。
1976年奈良県生まれ。高校卒業後、吉本興業で芸人活動を経て、2006年、 ディアホームに入社。54区画の街づくりの総責任者として実績を挙げ、2010年にSOUSEI 設立。注文住宅受注数で地域ナンバーワンのビルダーに成長すると同時に、ITで住宅機 能を促進させる技術開発を進める。住宅購入時の情報を一括管理できる個人向けマイホ ームアプリ「knot(ノット)」と、中小工務店向けの住宅用OS「v-ex(べクス)」を開発 し、2018年4月、全国展開を発表。IoT(モノのインターネット)と住宅を結ぶスマー トホームの分野で注目される。取材時は41歳。奈良県在住(乃村氏は東京との2拠点 生活)。専業主婦の妻、22歳の長女、18歳の長男、16歳の次女、12歳の三女、11歳の 次男、8歳の四女、5歳の三男、2歳の四男の10人暮らし(取材日:2018年3月28日、 インタビュー撮影:鈴木愛子、ほかも同じ)
乃村さんは元吉本興業という異例のキャリアを持つ起業家で、独自開発した住宅向けのスマートデバイスを勢いよく伸ばしています。特に今年は大手企業との提携も次々と決まり、事業を拡大中ですね。“子だくさん社長”でもあると聞きました。
乃村氏(以下、乃村):はい、子どもは8人、妻と僕を入れて、10人家族です。
ご結婚が早かったのでしょうか。
乃村:結婚は、19歳の時です。家内はアルバイト先のバーに来ていたお客さんで、出会って3カ月で結婚しました。僕、何でも決断が早いんです。子どもたちは一番上が大学4年生で、一番下は2歳。幼稚園入園前から幼稚園児、小学生、中学生、高校生、大学生まで、子どもの成長過程すべてがそろっています(笑)。聞かれる前に言っておきますけど、母親は全員、一緒です(笑)。家内が本当に子ども好きなんです。
普段はどのように子育てに関わっていますか。
乃村:2012年頃から米シリコンバレーの企業と組んで、住宅業界に特化した人工知能デバイス開発に没頭していまして、僕はほぼ東京にいるんです。奈良の自宅に帰れるのは月に3~4回で、それ以外は、家内が家を守ってくれています。
8人のお子さんを奥さんお一人で?ご両親のサポートなどがあるのでしょうか。
乃村:妻の両親も近くに住んではいますが、あまり頼る必要はありません。なぜなら、小さい子どもたちは、大きい子どもたちが面倒見てくれるんです。
子どもの数が4人を超えたくらいから、だんだん親はラクになってきました。数歳違いの3人くらいの時が一番大変でした。今は、子どもたちが取り合うようにして面倒を見てくれるんで、僕ら夫婦が風呂に入れることはまずありません。「今日は私が入れたげるー」「じゃ、明日は僕な」という感じで、子ども同士で、小さい子を世話してくれています。
たくさんの子どもを同時に育てるポイントは、“育てる楽しさ”を子どもたちとも分かち合うこと。権限移譲ですね。うちは4人目くらいから、名付けを一つ上の子どもに任せているんです。
離れていても、毎日家族とLINEする
乃村:うちでは、5人目の名前は4人目が、6人目の名前は5人目が付けるというふうに、ネーミングライツを与えています(笑)。自分が名付けた子のことは、とても可愛がっています。そしたら、7人目の絢斗(アヤト)が付けた8人目の名前が、まさかの一文字違いの蒼斗(アオト)。「さすがに紛らわしいやろ」と上の子たちは反対したんですが、「ま、いいやん」と。「アー…ト」って呼べば、いっぺんに2人が振り返るから便利やないかと(笑)。
子どもは人数増えるほどラクになる。育児のランナーズハイ状態です(笑)。
今回の取材で家族写真を出すこともLINEで家族に報告。友達のような和気あいあいとしたコミュニケーションが続く。
すごいのひと言に尽きます。乃村さんは、ご自宅に帰っている時に集中してお子さんと関わるというスタイルなのでしょうか。
乃村:いえ。毎日、頻繁にコミュニケーションを取っていますよ。家族で(SNSの)LINEのグループをつくっていて、トピックを共有しているんです。うちの場合、その時々の旬のトピックごとにグループがつくられています。例えば、「誰々がケガした」とか。
最近ホットなのは、受験生だった長男の雄斗(タケト)が関西大学に受かったので、「タケトは関大生」というグループが立ち上がりました。関連のある最新情報や写真がアップされていきます。
スマホは2~3歳くらいから触らせる
LINEで情報共有しているのは、高校生か中学生以上のお子さんたちとでしょうか。
乃村:驚かれるかもしれないんですが、うちの場合、だいたい2~3歳くらいから、iPhoneを渡しているんです。だから、現時点でLINEグループに入っていないのは2歳児の四男だけ。ほかの子どもたちは全員、僕か家内のお古のiPhoneを活用していて、1人1台持たせています。結構使いこなしていますよ。2歳児もそろそろデビューの時期ですね。
ずいぶん早いように思います。
乃村:世の中では、子どもを早くからインターネットに触れさせることは敬遠されているとは分かっています。その理由にも納得しているんですが、これからの時代を生きる彼らの将来を想像すると、「持たせるデメリット」より「持たせないデメリット」の方が上回るんじゃないかと考えたんです。
子どもですから、間違った使い方もするし、夜更かししたりと、目を配らないといけないことはたくさんあります。それに対する注意はその都度するので、確かに手間は増えます。ただ注意をしたとしても、「使わせない」という権限は発動させないと決めているんです。
むしろ、若いうちに適切に失敗すべきだと思っているので、「アダルトコンテンツでも何でも見て、たくさん失敗してくれ」と言っています。
リスクを含めて使ってみて、最終的に自分で取捨選択できるフィルターを持ってほしいと思うんです。もちろん、与えて放っておくのではなく、どう使っているかはいつも気にしています。
面白いことはよく起こります。5歳児の検索履歴に「おっぱい」を見つけて、兄妹が 大騒ぎするとか(笑)。それも家族のエンターテインメントかな、と。
お父さんはエンターテイナー
「小さい頃からITデバイスに触れさせたい」という思いに至った原体験があるのでしょうか。
乃村:僕の人生を変えたのがiPhoneとの出会いだったという体験です。
2010年にiPhoneを初めて手にした時、僕、感動して泣いたんです。スライドしてページをめくる動作一つとっても、「何で一度も教わってないのに、ページがめくれたん?」と驚きました。ものすごく人間を熟知しているデバイスを、アップルは発明しよった、と。
それまでITに全く興味がなかったし、パソコンを触ったのも30歳過ぎてからだったんです。けれど、この瞬間を境にぐーっとハマって、通信からアプリケーション、ハードもソフトも全部、独学で勉強して起業したんです。
前職が住宅関係だったので、ホームビルダーとして創業しましたが、2年で地域ナンバーワンになれたので、そこはもう人に任せて「僕はITに没頭するわ」とシフトチェンジしました。
iPhoneの何に感動したかって、これを1台持つだけで、超ローテクだった人たちが、簡単にハイテクを使えるようになるんです。パソコンのキーボード触ったことない人でも、一足飛びに、インターネットの世界に飛び込める。つまりiPhoneはテクノロジーの翻訳機なんです。
年寄りも若者も、金持ちもそうでない人も、共通して持てるデバイスを発明したって、すごいことですよね。スマホを介してサービスを提供できたら、ローテクの人にもITの恩恵を提供できるんじゃないかと思えました。スマホの可能性を心底信じているからこそ、「こんなに便利なものを渡さないなんて、子どもに対して意地悪ではないか」と思うくらいなんです。
そのスマホを使って、遠距離でも家族のコミュニケーションが取れているということですね。自宅に帰れる日は、家族そろって過ごすことが多いのでしょうか。
乃村:大体、全員揃って待っていてくれます。「一政、帰ってきたでー」って。
あ、子どもたちは僕のことを「一政」って呼びよるんですけど、父親というより“演者”として求められている感はありますね。帰ってきて、10人掛けの食卓についたら、僕のショーの始まりです。
吉本で漫才やっていた時から、変わらず「エンターテインメント」は、僕が追求し続けているテーマで、子どもたちの前では絶対にエンターテイナーであろうと決めているんです。披露するのは大体モノマネかコントです。
“大きいチーム”はすっかり僕のファンですね。大きいチームというのは中学生以上、小さいチームは小学生以下のことです(笑)。
笑いのツボは年齢層によって違うので、演目は2本立てで行きます。ネタが冴えている時は、「今日キレッキレやん」と子どもたちにほめられます。たまに法事で親戚の集まりに出かけると、その帰りにはもう、全員期待しよるんです。僕が、その日に見た特徴ある親戚のモノマネをやることを。「今日はあのおじさんやろ」「その名前はまだ言うな」と言いながら帰宅して、家の中でドッカンドッカンです(笑)。
子どもたちには、できるだけ制限をかけない
いわゆる「父親の威厳」は求めていないのでしょうか。
乃村:全く求めませんし、僕は無理です。いやー、無理ですよ。そもそも誰かを尊敬したり、信頼したりするような感情は、外から操作したり制御したりできるものではありません。それに、僕が誰かから上から目線で教えられるのは嫌なので。
「自分から学びたい」という気持ちは人一倍強いんですが、「教わりたい」わけではないんです。押し付けられた瞬間に意欲が萎えるといいますか。だから、子どもたちに対して「こんな父親でありたい」という願望は一切ないし、持ちたくないと思っています。
乃村さんのお父様もそういう人だったのでしょうか。
乃村:そうですね。何かを「やれ」「こうしろ」と押し付けられた記憶は全くなくて、それがすごくありがたかったと思います。
父は仲間と一緒に立ち上げた事業の失敗に巻き込まれる形で、僕が高校1年生の時に会社が倒産したんです。僕は大学進学を希望していたけれど、行けないことが確定して、「仕方ないな。話が好きだから漫才師を目指すか」と方向転換しました。
高校3年生の時には、自分で他校に電話して、「そちらの文化祭で漫才やらせてください」と売り込んで、公休を取って遠征に行ったこともありました。今思えば、起業家気質ですよね(笑)。
その後、吉本興業に入った時も、19歳で結婚すると決めた時も、父親からは何も否定されませんでした。さらにさかのぼって、僕が小学2年生の頃、阪神タイガースの試合を観に、奈良から1人で電車を乗り継いで甲子園球場に行った時も、おかんは心配して怒っていましたけれど、父は「行ってこい。困ったら人に聞け」と送り出していました。
お金に関すること以外は、「ダメ」と言われなかったことで、僕は行動に制限をつけない人間に育ったと思います。やると決めたらやるし、実現する方法を考えることだけに集中するようになりました。
子どもたちに対しても、僕はできるだけ制限をかけない存在でいたいんです。人間って、本来は創造性の塊で、もともと備えている創造性をいかに壊さずに保てるかが大事じゃないかと思うんです。(後編に続く)
この記事はシリーズ「僕らの子育て」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
Powered by リゾーム?