「オトコが育児に参加するのが当たり前」の時代に変わりつつある。旬の経営者や学者、プロフェッショナルたちも、自らの育児方針や育休取得についてパブリックに言及することが増えてきた。優秀なリーダーたちは、我が子にどんな教育を与えようとしているのか。また自身はどう育てられたのか。そしてなぜ、育児について語り始めたのか。
連載3回目に登場するのは、建築デザイン事務所noizを主宰する豊田啓介氏。台湾出身の妻と共に、2人の子どもを育てる。シッターさんなど、外部リソースをうまく活用した豊田氏の育児スタイルから、私たちが学ぶものは多いはずだ。豊田氏の育児論を聞いた。今回はその後編。
1972年千葉県生まれ。東京大学工学部建築学科卒業。安藤忠雄建築研究所を経て、米コロンビア大学建築学部修士課程修了。米ニューヨークの建築事務所SHoP Architectsに勤務の後、2007年、蔡佳萱氏と共同主宰で、建築デザイン事務所noizを設立(現在は、酒井康介氏もパートナーに加わる)。東京と台湾・台北を拠点として、コンピューテーショナルデザインを取り入れた設計を発表し、注目を集める。2017年より金田充弘氏・黒田哲二氏と共に、建築・都市のコンサルティング・プラットフォームgluonを共同主宰。代表作に、斬新な外壁デザインが話題となった「SHIBUYA CAST.」、自由形状のデザイン畳「ヴォロノイ畳 TESSE」など。東京藝術大学芸術情報センター非常勤講師なども務める。取材時、45歳。東京都在住。共同経営者の妻、9歳の長男、7歳の長女の4人暮らし(取材日/2018年2月27日、インタビュー撮影は鈴木愛子、ほかも同じ)
豊田さんはお話の中で、家事・育児のアウトソースを積極的に勧めていらっしゃいました(「夫婦はもっと、家事・育児のアウトソースを」)。確かに、外部の手を活用することは、女性ばかりでなく、男性にとってもメリットが大きいようです。子どもを持つことに積極的になれない男性の心情として、「自分の時間がなくなるのがイヤ」という不安もあるようですが、そういった不安の解決策にもなりそうですね。シッターさんを活用するライフスタイルは、建築のアイデアにも影響していますか。
豊田氏(以下、豊田):発想というか、人の暮らしについて想像できる範囲は広がりました。
例えば、パートナーの故郷である台湾や香港の暮らしに接していると、これらの国の上流アパートメントの設計は、日本人はできないだろうなと感じるんです。
なぜなら、家政婦さんが住み込む生活を前提として、どのベッドルームにも専用のバスルームがあって、キッチンスペースは広く、中華料理を作る時の煙を遮断するための設計とか、日本に暮らしていたらイメージできない前提が多々あるんです。
彼らのような上流階級が、旅行やビジネスで日本に長期滞在した時、家政婦も一緒に連れて来れる受け皿はあるのか、と。現状の答えは「ない」です。ホテルは別室になるのでダメですし。
日本人の視点でいくら「訪日外国人を増やしましょう」と叫んでも、彼らのライフスタイルやニーズを正確に読み取らなければ、意味がないのだと気づかされます。いくら民泊を解禁しても、現状の箱では満足されない、ということです。
僕たち建築家が無意識にフィルターをかけて見てしまっていた「公共」や「家族」の姿とは何か。子育てを通して、改めて考えさせられることは多いですね。フィルターを取り払ったら、もっと自由な発想はできるんだろうなぁ、と。例えば「レンタルパパ」とかあってもいいし。
レンタルパパ? それはどういうものでしょう。
豊田:単なる思いつきですけどね。忙しいパパに代わって、全力で子どもと外遊びしてくれるお父さんが週末に派遣されるサービスだって、別にあってもいいわけです。家族のあり方は本当に多様で、グラデーションになっている。既成概念の枠が溶けていけば、建築のあり方も変わっていくと思います。「なんで、ファミリー向けの住宅は3LDKなんだっけ」という投げかけは、もっと僕たちからやっていくべきかもしれない。
親から教わった、自分で決めて行動すること
豊田さんが子育てに関してご両親から受けた影響はありますか。
豊田:僕は、典型的な戦後高度成長期の「ザ・サラリーマン」の家庭で育ちました。母は専業主婦でしたが、今思えば男女平等の考えを強く持っていて、「家事は全部できるようになりなさい」と言われて育ちました。
大学は実家から通える範囲にありましたが、自立のための経験として、大学に入ったら一人暮らしと決められていました。小さい頃から繰り返し言われてきて、今でも頭に残っているのは、「自分で考えて決めて行動しなさい。そして、自分の行動には責任を取れるようになりなさい」という教えでした。
僕が海外で生活したのは30歳になってからですが、あまり苦労しなかったのは、両親の教えが大きかったと感謝しているんです。他人と関わるけれど依存せず、自分で状況を判断して、行動する。
「自分を出す」ことと「他人を受け入れる」ことのバランスをうまく保つことが、新しい世界に飛び出した時には重要で、語学のレベルの問題ではないのだと実感しています。子どもたちにも、そのバランスは身につけさせていきたいと思っています。
お子さんの教育方針について具体的に聞かせてください。家庭内では何語で会話しているのでしょうか。
豊田:僕が日本語、妻が中国語、シッターさんが英語で話すので、子どもたちは自然とトライリンガルに育っています。普段の夫婦間の会話は英語ですし、家族の共通言語も英語です。せっかくの環境なので、いずれは海外で学ぶ選択肢も自然な流れの中で広げてあげられるといいかなと思っています。
少しくらい、周りに迷惑をかけたっていい
学校のプランはどのように考えていますか。
豊田:今のところ、2人とも普通に、近所の公立小学校に通わせています。
僕自身はベタベタの公立教育で育って、県立の伝統校ならではの太い幹の通った教育の良さを体感してきたのですが、妻はインターナショナルスクールやカリフォルニアの全寮制ハイスクールに通うなど、グローバルな環境を転々としながら育ったタイプです。どちらも良し悪しがあって、これからの方針についてはまだ決めきれていません。
ただ、日本の公教育で気になっているのは、学年が上がるほど、子どもたちの声がぼそぼそと小さくなって、自分の意見を言えなくなるような様子が見られることですね。「このまま通わせていていいのか」と夫婦で話すこともあります。
“正解を当てにいく教育”になっていないか、という懸念でしょうか。
豊田:そうですね。大人が先に用意した正解があって、それを当てないと許さないような状況がいろいろな場面で散見されます。
少年スポーツの様子を見ていても、コーチが子どもたちを指導する時、「お前たち、どう思っているんだ!」と投げかけるんですが、求める答えは既に決まっている。もっと伸び伸びと、自分の言いたいことややりたいことを開放させてあげたいなという思いはありますね。
失敗して怒られてもいい。むしろ少しくらい周りに迷惑をかけたり、かけられたりしながら、押し引きをサーチングしながら育ってほしい。今は少し行きすぎた潔癖症というか、「人さまに迷惑をかけてはいけない」という価値観が強くなりすぎている気がして……。本当の意味での「ギブ&テイク」の関係性を学ぶために、子どもたち同士の間で、もっと迷惑をかけ合っていい雰囲気が生まれるといいのにと思うことはよくあります。
豊田さんも、息子さんの少年野球にも付き添っているのだとか。
豊田:はい。最近は忙しくてなかなか顔を出せていないのですが、できるだけ付き添っていますね。僕も野球をやっていたので。娘のバレエ教室の付き添いも挑戦したことがありますが、狭い待合室でママたちに囲まれて……というのがお互いに居心地悪くて(笑)、最近は妻に任せています。
この辺りの役割分担に関しては、妻はニュートラルに考える方で、「父親に向く場所にはあなたが、母親が向く場所には私が行けばいい」と同意してくれています。基本的に男女平等を主張しつつも、違いは違いとして認めるという考え方はいいなぁと思いますね。
子どもにスマホやゲームは、一切させていない
お子さんのしつけの面で、「これだけは厳しく制限している」ということはありますか。
豊田:どちらかというと、「何でも試して失敗してみなさい」という方針なので、あまり制限しないように心がけています。ただ、僕の両親と同じように、「自分の行動に責任を持ちなさい」ということは繰り返し話しています。
例えば、長男は好奇心旺盛で習い事を増やしすぎる傾向がある。今は野球がメーンですが、ほかにも剣道、太鼓、水泳にピアノまで。近所の区民センターで習える教室が豊富にあるので、経済的にはありがたいのですが、「全部続けたい!」と言っていて(笑)。下の長女の方も、なぎなたとバレエとピアノと水泳。「やるならちゃんと続けるんだぞ。だから、始める前にしっかり考えて」とは言っていますが……。
制限しているものは一つ。ゲームやスマホは一切やらせていません。
コンピュータを駆使したデザインを手掛ける豊田さんが、お子さんにはゲームやスマホを触らせないのは意外ですね。その意図は。
豊田:受け身ではなく、自分の目で見て、自分の頭で考えて決められる人間に育ってほしいからです。いずれ、スマートフォンも手にするはずですが、持たなくても生活に支障がない間は、できるだけ持たせないようにしようと夫婦で話して決めました。
そう決めたのには、やはり僕の幼少期の原体験があって、当時流行っていた超合金ロボットとかゲームウォッチとかオモチャの類を一切与えられなかったんです。遊び道具は自分でつくるしかない。ひたすら空き箱やガラクタを集めて、ガチャガチャと手を動かしていました。
何十回、何百回と繰り返さないと、子どもに伝わらない
その経験から獲得した感性が、今の創作につながっているんでしょうね。でも、お子さんから主張されませんか? 「友だちはみんな持ってるのに!」とか。
豊田:されます、されます。その都度、ちゃんと理由を説明しています。「自分で考えなくなるのはお父さんもお母さんも嫌だから、今は持たせない。もう大丈夫だと思ったら渡すよ」と。
うやむやにせずに、きちんと話せば、子どもも「分かった」と言ってくれます。本当にどれくらい理解してくれているかは分かりませんが、何十回、何百回と繰り返し伝えていくことが大切なんだろうな、と。
概念って一度で伝わることは絶対になくて、しつこく反復して、ようやく伝わるものなんです。ロゴのデザインを何十回とスケッチしていくうちに形になっていくのと同じです。特に、他人の頭の中に概念を描きたい時は、諦めずに繰り返さないと。
なるほど。「うちの子、何度言っても聞かない」というのは当然だということなのですね。
豊田:そう思います。社会人であれば「1回言えば分かるでしょう」が通りますが、同じことを子どもに期待しても、うまくいくはずはありません。子どもによってスイッチが入るタイミングは違いますし、ちょっとずつスイッチが入る子もいれば、いきなりガガガっと入る子もいる。
Aのスイッチから入る子もいれば、Aを飛ばしてBから入る子もいる。多分、5年や10年のスパンで慣らされていくものだと思います。あと3年経たないとスイッチが入らない子に向かって頭ごなしに言っても仕方がないし、無理やりスイッチを入れようとすると、周辺の回路まで壊れてしまう。
僕は専門家ではないのですが、子どもたちを見ていると、そんな気がするんです。大人が子どもを潰す存在になってはいけないなと、自戒も兼ねて思います。
講師として教えに行っている大学で学生に接していても、もったいないなぁと思うことは多いんです。自分なりに考えて創造するプロセスの練習が不足したまま大人になろうとしている学生が多い気がするので。
父親として小学生の育児、教員としての大学生の指導、経営者としての組織のマネジメント。いろいろな階層で“人育て”を見ているのですね。
豊田:それはあるかもしれません。料理の材料とレシピと完成形を結びつけながら、「何をしたらこの味になるのか」と因果関係を検証するように、人間が育つプロセスを段階ごとに観察することには、興味があります。
それは、建築家ならではのものの見方なのでしょうか。
豊田: 建築って、構造の因果関係をデザインする仕事なんです。あるインプットの結果が出るには、何階層かのステップを踏まないといけないかもしれない。それだけ時間がかかることもあるという感覚は、職業柄、身についています。だから子育てにおいても、すぐに結果を求めない姿勢になっていると思います。
信号の入力は、一瞬で済む方法、3カ月間継続する方法、1週間ごとに5年かけてやる方法など、いろいろとあります。しかも、それが3歳からの5年なのか、6歳からの5年なのかで、効果は変わります。そのタイミングとタイムスパンは見誤らないように注意したい。試行錯誤の繰り返しですけどね。
子育てを通して備わった、いい意味での“鈍感力”
育児の経験が、仕事に影響したと感じることはありますか。
豊田:いい意味での“鈍感力”が備わったと感じています。つまり、すべてを自分でコントロールしようとしてもムダである、という諦め。相手に委ねて任せること。
これは、うちの事務所の方針とも一致するんですが、デジタル技術の能力を最大限に発揮させようとする時には、すべてをコントロールすることを諦めた方が、人間の計算能力をはるかに超えた領域に達することがあるんです。「あ、これって子育ても同じじゃん」とある時気づいたんです。
子どもの人格や能力をすべてコントロールすることは不可能です。大まかなガイドだけして、あとは本人の資質に委ねる。そうすることで、子どもの可能性がより大きく広がっていく。
ただし、何もしないで放置していても育たないので、中身を活性化させるように刺激を与える努力は必要です。パンパンの状態までエネルギーを刺激した上で、パッと手を離してあげると、「ボン!」と膨らむ。本人の力で膨らむためのエネルギーを溜める準備を手伝ってあげる。そういう感覚で、子育ても組織の運営もやっていますね。
このオフィスの雰囲気も、行き来自由でオープンな、心地よい雑多な空気が魅力になっています。これも狙いがあるのでしょうか。
豊田:単に散らかっているだけとも言えますが(笑)、あえて整然とし過ぎていない、ゴチャゴチャした雰囲気にしています。試作品をパラパラ並べてあったり、ここには、開発中の自動運転車椅子もあったり。イベントのフライヤーも入り口近くに置いていて、スタッフには「昼間に行ってきていいよ」と言っています。
大規模な設計事務所と違って、うちは「いかに外と組めるか」が大切です。副業も大歓迎ですし、むしろ外から刺激を吸収してアイデアに還元してほしい。多様性のある環境でこそ、ユニークなものは生まれると思います。人員比率の過半数は外国人ですし、社内では英語でコミュニケーションをしています。面白いものと交わりながら成長していきたいので、オフィス空間の演出も、「何でも持ち込んでOK」という余白を感じられる雰囲気にしているんです。
セルフコントロールをしすぎないこと。これは組織運営と育児に共通しているポイントかもしれないですね。
家族はもっと迷惑をかけ合っていい
これまでのお話で、豊田さんの育児観・家族観はがパートナーの蔡さんから大いに影響を受けているということが分かったわけですが、ほかにも感化されたことはありますか。
豊田:「家族はもっと迷惑をかけ合っていい」と考えるようになったのは、大きいと思います。日本では、僕たちの親の戦後世代から、「核家族で自立して生きるのが美徳」という価値観が広がってきました。子どもは成人したら親に迷惑かけてはいけないし、年老いた親も子どもに迷惑をかけてはいけない。そんな考え方が称賛されるような空気がありませんか? 成人した親子が世帯を分けたら、年に数回しか会わないのが普通で、お互いに自立して生きるのが理想だ、と。
確かにそれができれば格好いいけれど、現実ではいろんな問題が起こるし、少人数の核家族だけでは解決できない問題の方が多い。
その点、台湾の家族観は全く違っていて、家族同士の関係が密で、とにかく関わり合うんです。いとこやまたいとこなども含めて、親戚が集まると50人くらいになって、すごく賑やかです。しかも、そのうちの何家族かは同じマンションに住んでいたりして、毎週末のように集まってご飯を一緒に食べている。よくそんなに話すことあるなと思うんですが、「ケイスケも来い」と呼ばれて行くと、なんか楽しいんです。
そういう環境の中で育つ子どもたちは、やっぱり満たされている感じがあって、親以外の親戚のおじちゃんおばちゃんが口出ししながら、みんなで子育てをしているんです。
大らかな干渉というか、たくさんの目が届く中で子どもが守られて育っている。それはすごくいいなと思うようになりました。親が高齢になって倒れても、いとこ同士が協力して看病するから、負担は軽減されていたりもする。いいシステムですよね。
振り返って日本の核家族システムは、よく考えたら戦後以降の経済政策でつくられただけのもの。いくらでも構築し直せるものじゃないかと思います。とりあえず、いいことは真似しようということで、うちの実家の親と兄、姉とも月に1回、理由はなくても集まって食事をするようになりました。
家族や社会そのものをつくってきた価値観や常識を問い直したくなる新しい視点は、妻からたくさんもらっています。見た目はおとなしそうで、性格も穏やかな女性なんですが、いつもサクッと核心をつく意見を言って、その度、「うわ。すげぇ。その通りだ」と納得させられてしまうんです(笑)。いろいろ気づかせてくれてありがとうと言いたいです。
最後に、豊田さんにとって「子育て」とは何でしょう。
豊田:僕にとっては発見の連続で、常に新たな視点を得られる経験です。
子どもが生まれて最初に抱いた瞬間に、自分の中で何かのスイッチがパチンと入ったのを感じたんです。子どもが大人になった時の社会を本気で良くしたいと考えるようになりました。「自分が今、楽しければいい」という世界から、「子どもたちが生きられる未来を残そう」という世界へ。
未来がリアルに迫ってきて、そのために何ができるのか、頭をひねって考え続ける生活に変わりました。ひと言で表すなら、「発見と貢献」。新たな発見と未来へ貢献しようとする行動をもたらしてくれるのが、僕にとっての子育てなのだと思います。
この記事はシリーズ「僕らの子育て」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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