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2011年3月11日の東日本震災から早6年がたちました。未曾有の状況下、人はなかなか物事を取り決められないものです。あの当時も官邸、官僚、現場の方々は、1人では解決できない状況の中、幾多の会議を使い暗中模索しながら、問題解決に取り組んでいたことでしょう。
危機的状況こそ、会議が活用されるのです。しかし、待ったなしの状況で果たして会議が「有効活用」されるかどうか、これは別の話です。
私は、会議術を使って仕事を変えたいというビジネスパーソン向けの講義の最後に「笑えない会議」の実話を紹介します。
危機的状況の中、彼らは何を論じていたか
「笑えない会議」とは、今から30年以上前の会議の話です。1986年11月15日に伊豆七島大島の三原山が噴火しました。1777年の噴火に匹敵する209年ぶりの大噴火は、溶岩となって1万3000人を超える島民と観光客に迫ろうとしていました。
一刻も早く島民を避難させなければ大惨事になります。その様子は、官邸にはもちろん、テレビを通じて国民にも届いていました。しかし、一向に避難活動が始まる様子はありません。その時、避難活動を管轄する国土庁は、19省庁の役人を集め、延々と会議をしてなかなか連絡が取れなかったのです。
当時の中曽根内閣官房長官である後藤田正晴氏は、内閣安全保障室長の佐々淳行氏に「何の会議をやっておるのか、議題は何か、すぐ聞け」と命令し、確認したところ驚くべき議題が論じられていることが発覚しました。
- 第1議題:災害対策本部の名称は、「大島対策本部」か「三原山対策本部」にするか。
- 第2議題:(災害発生年次を)元号(昭和61年)とするか、(昭和天皇が高齢のため)西暦(1986年)を使うか。
- 第3議題:臨時閣議を招集するか、持ち回り閣議にするか。
溶岩が島民に迫り、大惨事が想定される中「島民をいかに避難させるか」という本質的な「幹」の議題ではなく、どうでもいい「枝」の議題に時間を費やしていたのです。
本当に笑えますか
この話をするたび、受講生から失笑が漏れます。確かに、「幹」を論ぜず、「枝」に終始する会議は、滑稽そのものです。そこで私は受講者の失笑がおさまるのを待って、語気強くこのように斬り込みます。
「しかし、この笑い話、本当に笑えますか。皆さんもこんな会議しているのではないですか」
受講者から失笑が消え、たちまち表情が凍りつくのは、会社の会議でも「幹」から離れ、「枝」の議論を繰り返している経験があるからです。
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