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「高いとお感じになるようでしたら、ご予算に応じてお値引きも可能ですので…」
その会社(A社)の営業担当は、プレゼンの終盤、資料の最終ページにある価格表に視線を向けた私に対して、その台詞をぶつけてきました。
私は自分が経営している会社で某サービスの導入を検討しており、複数の会社から提案を受けていました。3社の営業担当からプレゼンを聞くことにして、そのうち1社はお断りをしたものの、残り2社で迷っていたのです。
A社のプレゼン資料にある価格表を見て、私から「高いですね」や「もう少し安くなりませんか」というコメントをしたわけではありません。その営業担当は、ページをめくって「ちょうど30秒後」に値引きの打診をしてきました。
この、30秒という時間に対して、私は奇妙なめぐり合わせを感じざるを得ませんでした。「なぜ、どの営業マンも、価格表を出して30秒たつと値下げを申し出てくるのだろうか」――。
顧客は要求していないのに
私の会社は、法人営業組織を抱えているクライアントに対して、営業力強化の研修やコンサルティングを提供しています。その研修では、「顧客から突きつけられた難しい場面」を題材にして、1日に何十回もロールプレイを繰り返しながら、参加者に対してフィードバックをしていきます。参加者は皆さん、現役の営業マンや営業マネジャーです。
実はこの商談場面で一番多く取り扱うのが、「顧客との価格交渉」の場面です。価格交渉を題材にしたロールプレイをすると、A社の営業マンと同じように、ほとんどの研修参加者は、「顧客が『高い』と言う前に、営業の方から値下げを提案」してきます。
その時間も、ほとんどの営業マンが「価格を見て顧客が悩みだしてから30秒後」なのです。
私は、なぜ、こんなにも多くの営業マンが自ら値下げを提案してくるのか、最初はよく分かりませんでした。というのは、値下げをすれば会社の利益も減ってしまうし、その営業マンの業務目標にとってもプラスにならないからです。
実際、冒頭に出てきたA社の営業マンにとっても、私が「高いから安くしてください」と言ったのであればともかく、別に値下げの要求はこちらからはしていません。
もしかして、「定価で提案すると断られるのでは」という思いが営業側にあるのかもしれません。しかし、こんなにも多くの営業マンが自ら勝手に値下げを申し出てくるというのは、何とも言えない気持ちになります。
売れ残りを避ける「最終兵器」
この現象、身近に思い当たることがあるなと、ふと私は思い出しました。
たとえば12月、欲しくてたまらない服がいくつかあったときに、多くの消費者は「服は欲しいけど、年末年始になればバーゲンセールが始まって安くなるから、それまで待とう」という行動をとりますね。お店の側も、売れ残りを避けようとしますから、ほとんどの小売店舗では年末年始、バーゲンセールが行われます。
これは、顧客側から見ると、「時間がたつと、自動的に安くなっていく」ように見えるのではないでしょうか。あたかも、「さあ、価格表を見て30秒間たっても『買う』とおっしゃらなかったお客様には、特別にお安くしますよ!」と、営業マンが勝手にバーゲンセールを始めるようなものです。
では、なぜ営業が「自分からバーゲンセール」をしてしまうのかについて考えてみましょう。
まず、値下げは、最後のひと押しの武器として営業マンに認識されています。多くの営業マンは、顧客が迷った際に「今回は特別にお安くしますので…」というクロージングをすることで、受注が取りやすくなるという成功体験を過去にしてきているのです。
値下げは、売れ残りを避けたい営業マンにとって、いわば「最終兵器」なのです。
顧客にとって心理的負担が少ない「先延ばし」
ここで、顧客側の心情に視点を移してみましょう。買いたいとは思っていても価格表を見つつ決断しない顧客は、次のように迷っています。「このサービスを導入したいとは思っているが、この価格が妥当だと今この場で判断がつかない」。
「導入したい」「判断がつかない」。どちらも、顧客の頭の中で考えていることです。しかし、導入をするには判断しなければなりませんし、判断がつかなかったら導入ができません。この2つは矛盾している(両方同時には成り立たない)のです。
さて、読者の皆さんが顧客だったら、この状況でどういう行動を選択しますか。
おそらく、多くの方は「決断を先延ばしにする(もう少し考えてみる)」という選択肢を選ぶはずです。それが、自分(顧客側)にとっていちばん心理的負担がかからないからです。
しかし、ここで、「『今だけ特別に』安くしますよ」という営業のプッシュがあったらどうでしょうか。「今だけ特別に」という情報が加わることによって、価格に関する迷いが払拭されやすくなります。
ちょうど「買いたかった服、高いと思って我慢していたけど、バーゲンで安くなっているなら、お得だから買ってしまおうか」と、多くの消費者が購入に踏み切るのに似ています。
「1日当たりにすると、たった○○円!」
このような心の動きを、心理学の専門用語で「認知的不協和」と言います。
認知的不協和というのは、どちらにするか決めきれない(=選択肢に矛盾が発生している)場合に、人はその矛盾に耐えきれず解消したがるという心の動きです。
たとえば、ここに、「部屋を片付けなきゃいけないと思いつつも、掃除は面倒くさい」と感じている人がいるとします。「もう少したってから、後で掃除を始めよう」という先延ばしは、よくありがちですね。
しかし、こういった状況で「先延ばしにできない理由」が追加されると、途端に結論が変わってきます。「部屋を片付けなきゃいけないと思いつつも、面倒くさいと感じる。でも、明日、人が遊びにくるから、この部屋のままにはしておけない」→「今日中に部屋を片付けよう」。
営業マンによる、「今回は特別にお安くしますので…」という最後のひと押しもこれですね。要するに、顧客の「買うことに対する先延ばし」を防ごうとしているわけです。
しかし、先延ばしを防ぐ手段は、実は「新しい情報を追加する」だけではありません。両方同時に成り立たないように思える2つの認知のうち、片方を変更するというアプローチもあります。
「部屋を片付けなきゃいけないと思いつつも、最初は面倒くさいと感じていたが、先日遊びに行った友達の部屋が綺麗に掃除されていてオシャレだった」→「自分の部屋もあんなに綺麗だったらさぞ気持ちいいだろう」。
テレビのコマーシャルや電車の広告などでも、こういった認知変更の表現をよく見かけますね。
「1日当たりにすると、たった○○円でこれがお楽しみいただけます!」
「1日1本の缶コーヒーを我慢するだけで、あなたは○○になれます!」
では、読者の皆さん、冒頭の営業マンになったつもりで、値引き以外の方法で、顧客である私をどう説得したらよいか考えてください。
「情報の追加」と「認知の変更」
顧客はこう思っています。「このサービスを導入したいが、今この場で、この価格が妥当だと判断がつかない」ここで、判断先延ばしを防ぐためには、「この価格は妥当だ」あるいは「割安である」と感じていただくための材料をこちらから提示することが必要でしょう。
伝え方としては、「情報の追加」と「認知の変更」とがありましたね。
情報の追加であれば、たとえば今、顧客に発生している無駄なコストに注目して「その無駄なコストがなくなりますよ(例えば、システムを導入しないで人力作業で対応していることに対する残業代削減の提案)」というやり方がありますね。
あるいは認知の変更なら、「今使っているものと比べると、安くあがりますよ(例えば、今使っているシステムから切り替えることで、初期導入コストはかかるが、運用費用を加えたトータルコストは抑えられる)」というアプローチになります。
もし、「自分は顧客からの値下げ要請が厳しい業界で営業をしている」と感じているようであれば、自分の営業活動について、カウントダウン・バーゲンセールをしていないか、振り返ってみましょう。値下げをしなくても、お客様から喜んで選ばれるような提案をしていきたいですね。
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