正直なところ、この取り組みを始めた時点で、エース級が抜けた部署をどうフォローするかについて、私たちは、これという答えは持っていませんでした。とにかく「本人の希望をできるだけ優先する」ことだけを考えてスタートしたのです。

 その理由は、以前にも説明した通り。内発的動機づけにとことんこだわった人事制度をつくろうと決意したからです。

 それでも、この仕組みを回し続けていくうちに、さほどの心配は要らないことが分かってきました。

 組織の蘇生能力は、私たちが一般に思っているよりずっと高いのです。

 どういうことか。

 例えば、エース級の社員がいなくなると、自然に「次のエース」が現れるものです。「次のエース」の多くはそれまで、その部署にいた社員。その人たちが、以前のエースにはなかった独自の手腕を発揮する「新世代エース」に育っていくのです。
 あるいは、抜けた人の穴を埋めるため、チームプレーで業務効率を上げたり、思い切った業務の“断捨離”を思いついたり。あちこちから知恵が出てきます。
 エースが抜けた危機的状況に「自分が何とかしなくては」と、誰もが奮い立つのでしょう。穴埋めどころではない奮闘を見せます。

 だから、エースが抜けても大丈夫です。

 残った社員は、抜けたエースの分も頑張ろうと意欲的に仕事に取り組み、成長する。
 一方、希望通りに異動したエースは、新しい職場で積極果敢なチャレンジを始め、やはり成長する。

 今のところ、「本人の希望通りの人事異動」は好循環を生み出しています。

意思を尊重された人は育つ

 問題は1つだけ。とんでもなく手間がかかるのです。

 全員が異動希望を出すわけではありませんが、社員が600人いる会社で、一人ひとりの要望に添うように人員を再配置するのですから、大変です。複雑なパズルゲームを解くようなもの。すべてのピースがピタッとはまるまでには大変な時間と手間がかかります。

 大きな人事異動は1年に1回、4月1日に行います。それに向けて、1月ぐらいから人事部も含めて、部署間で頻繁に組織編成や人材配置の改変に関するミーティングが開かれます。
 なかにはなかなか調整がつかず、すぐに異動させることは難しいという結論に至る場合もあります。そういうときは異動を希望する社員に、「申し訳ないが、いったん保留にさせてほしい。次の異動で何とか調整をつけるから」などと伝えます。今すぐには思い通りにならなくても、自分の意思が尊重されていると分かれば、社員は納得してくれます。

 繰り返しになりますが、私たちが人事の軸に据えるのは、内発的動機づけです。

 だから、キャリアエントリー、すなわち採用の段階で「本心からこの会社で働きたいのか」「この会社で何をしたいのか」「社会にどんなインパクトを与えたいのか」を、しつこく確認します(詳しくは前回)。
 そして次のステップとして、本人の意思に沿ったキャリアデザインを可能にします。そのために、人事異動の調整に膨大なエネルギーを注ぐのです。

 会社に自分の意思を尊重された社員は、驚くほど育ちます。

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