安倍政権によるコーポレートガバナンス改革では「中長期」が重要なキーワードである。
たとえば、コーポレートガバナンス・コードは、株主との「建設的な対話」を通じて上場会社が「持続的な成長と中長期的な企業価値の向上」を実現することを目的としている。
このように、近年のコーポレートガバナンス改革で、中長期的な企業価値の向上が重視されている背景には、投資家と企業のショートターミズムへの警戒がある。上場していることで投資家などから受ける過度な重圧から逃れる有効な選択肢の1つは、株式非公開化(MBO)である。しかし、上場を維持することには、社会の公器としての立場を明確化できる、あるいは株主の経営参画により多角的かつ規律ある経営を実現できるというメリットがあることも指摘されている。
ショートターミズムへと陥らないために、企業にとって「重要なパートナー」となりうるのは、中長期保有志向の株主である。
一方で、コーポレートガバナンス・コードが政策保有株式の保有方針の開示等を求めたことなどから、安定株主の確保という側面のあった株式持ち合いは解消へと向かっている(「激変する『株式持ち合い』『内部昇進者中心の取締役会』」参照)。
では、今後、企業は、どのようにして「重要なパートナー」としての中長期保有志向の株主を増やしていくべきであろうか。
その1つの可能性を示したのが、トヨタが2015年7月に発行したAA型種類株式であろう。
トヨタは、同株式の発行について、「中長期での成長を目指すトヨタの経営の意思」を示したものであり、また、中長期保有志向の株主を「会社にとって重要なパートナーとなり得る存在」とするコーポレートガバナンス・コードの主旨にも沿うと説明している。
今回は、コーポレートガバナンス・コードの時代に、各企業がその「重要なパートナー」である中長期保有志向の株主を確保していくための方策について、重要な示唆を与えたトヨタのAA型種類株式を中心に述べることとしたい。
中長期的視点が重視される背景
安倍政権によるコーポレートガバナンス改革においては、「中長期的な成長」、「中長期的な企業価値の向上」などと、「中長期的」視点が重視されてきた。
その背景には、投資家と企業のショートターミズムの抑制への国際的な関心がある。ショートターミズムとは、一般には、企業や投資家が、長期的な成功や安定を犠牲にして短期的な利益を追求する行動をとることをいう。
世界の主要な株式市場における平均株式保有年数は短期化する傾向にあり、特に、日米英の株式保有期間は過去数十年間にわたり劇的に短縮化したといわれている(伊藤レポート70ページおよび71ページ)。例えば、ショートターミズムの投資家は、典型的には膨大なデータに基づく短期売買プログラムを用いて、過度に短期的な業績数値や、企業価値に関係のない株価の動き・方向感などにのみ着目して取引を行っている。
このようなショートターミズムは、中長期的な企業価値の向上を犠牲にして短期的利益を追求するものであり、企業が長期にわたり利益を生む能力を脅かすとして国際的に警戒されてきた。
日本版のコーポレートガバナンス・コード及びスチュワードシップ・コード策定に影響を与えた英国版のコーポレートガバナンス・コードおよびスチュワードシップ・コードは、ショートターミズムを抑制することを大きな主眼として策定されたものである。
日本におけるコーポレートガバナンス改革の流れ
ショートターミズムの抑制への国際的な関心を背景に進められてきた日本のコーポレートガバナンス改革では、以下のとおり、ショートターミズムへの警戒・配慮がうかがえるとともに、「中長期的」な企業価値の向上が重視されてきた。
まず、2013年6月に公表された「日本再興戦略-Japan is Back-」では、機関投資家が、対話を通じて企業の「中長期的な成長」を促すことなどを内容とする日本版スチュワードシップ・コードを取りまとめることが提言された。
この日本再興戦略での提言を受けて、日本版スチュワードシップ・コードが2014年2月に策定された。日本版スチュワードシップ・コードにおいては、機関投資家は、「目的を持った対話」などを通じて投資先企業の「企業価値の向上やその持続的成長を促すことにより、…中長期的な投資リターンの拡大を図るべき」(指針1-1)とされるなど、「企業の持続的成長」が強調されていることが1つの特徴である。
2014年6月に公表された「『日本再興戦略』改訂2014」ではコーポレートガバナンス・コードの策定が提言され、2015年6月に同コードが施行された。
そのコーポレートガバナンス・コードでも、中長期保有志向の株主が「市場の短期主義化が懸念される昨今においても、会社にとって重要なパートナーになりうる存在である」との認識のもと、コードが「中長期の投資を促す効果をもたらすことをも期待」するとされている(資料編・序文第8項)。また、企業の「持続的な成長と中長期的な企業価値の向上」という目的を共有できる投資家との間で、「建設的な対話」を行う(基本原則5)ことも規定されている。
このように、上場会社の経営者には、ショートターミズムに陥ることなく、中長期的な企業価値の向上という目的を同じくする株主と対話を続け、企業価値の中長期的向上を目指すことが求められているのである。
トヨタのAA型種類株式とはどんなものか
コーポレートガバナンス・コードの策定をはじめとする近年のコーポレートガバナンス改革において「中長期的」視点が重視されている以上、各企業はこれを意識せざるを得ない。このような状況のもと、各企業は、その「重要なパートナー」となる中長期保有志向の株主をどのように確保し、中長期的な企業価値の向上のための対話を行っていくべきか。
企業側からの「回答」の好例が、トヨタが2015年7月に発行したAA型種類株式であろう。
まず、AA型種類株式の概要を見ていく。
① 発行の目的
トヨタは、AA型種類株式の発行目的について、次世代技術創造への「中長期的視点」での研究開発資金の調達及び「中長期株主層の形成」により、「中長期での成長を目指すトヨタの経営意思を株式市場へ発信」することなどと説明している。
また、コーポレートガバナンス・コードの目的の1つは「中長期の投資を促す効果をもたらすこと」であり、中長期保有志向の株主は「会社にとって重要なパートナーとなり得る存在」とした上で、AA型種類株式は、コーポレートガバナンス・コードの「主旨に沿ったもの」とも説明している。
② 議決権
AA型種類株式には、普通株式と同じ議決権が付与されている。
このことは、中長期的な企業価値の向上に主たる関心を持っている株主が、トヨタの会社経営に影響力を及ぼすことを可能にするものである。
③ 譲渡制限
AA型種類株式には譲渡制限が付されている。すなわち、AA型種類株式を譲渡するには、原則としてトヨタの取締役会の承認が必要である。東京証券取引所の上場規則によると、譲渡制限付きの株式は上場することができないため、AA型種類株式は非上場株式である。
このようにAA型種類株式が譲渡制限付きの非上場株式である以上、流動性を重んじる機関投資家は、その購入には慎重になることが予想される。トヨタ自身も、AA型種類株式の主な購入者には、個人投資家を想定しているようである。
④ 優先配当
AA型種類株式は、普通株式に優先して配当が行われる。配当年率は、当初の事業年度は0.5%であり、以後2.5%に至るまで毎事業年度に0.5%ずつ上昇していく設計となっており、5年間の配当年率を平均すると1.5%となる。普通株式の平均利回りは2%台前半との指摘もあり、当面の普通株式の配当利回りより低い配当率と説明されている。
⑤ 実質的な元本保証
AA型種類株式の1つの特徴は、トヨタによる実質的な元本保証が付されていることである。すなわち、AA型種類株式の株主は、発行から概ね5年後に、AA型種類株式を、普通株式への転換、または発行価格(未払配当金などを含む。今回発行されたAA型種類株式は普通株式の市場価格の約1.3倍で発行された)での換金をトヨタに請求することができる。
これにより、AA型種類株式の株主は、発行から概ね5年経過後は、普通株式の株価がAA型種類株式の発行価格を上回っていれば、普通株式への転換によりキャピタルゲインを得ることができる。また、普通株式の株価がAA型種類株式の発行価格を下回っていれば、発行価格での換金を請求できるため、損失リスクが少なくなるのである。
⑥ 発行株式数
トヨタは、AA型種類株式について、原則として、1年に一度を超えない頻度で第2回以降の発行をする予定であり、発行規模は発行済株式総数の5%未満(1億5000万株)を上限とすると説明している。今回の発行では、4710万株(発行済株式総数の約1.4%=2016年2月12日時点=)を発行した。
⑦ 投資家の反応
AA型種類株式の発行に際しては、販売を担当した野村証券に対し、予定発行金額の10倍超の申し込みがあったとの報道もあり、投資家から高い人気を得たようである。
評価は賛否両論
トヨタのAA型種類株式の特徴は、以下のようにまとめることができる。
1つ目の特徴として、中長期保有志向の株主層を形成するために、AA型種類株式は、その譲渡が「制限」されていることが挙げられる(上記③)。[注]
[注]ただし、譲渡が絶対的に「禁止」されているわけではなく、トヨタの取締役会の承認(会社法139条)がある場合などには、株主は譲渡可能である。また、相続が生じた場合にも、AA型種類株式は取締役会の承認がなくとも相続人に承継される。トヨタが譲渡を承認しないときは、トヨタ自身またはトヨタの指定する者がAA型種類株式を買い取るよう請求することもできる(会社法138条1号ハ、同条2号ハ)。
2つ目の特徴として、AA型種類株式については、中長期的保有を促すインセンティブが用意されていることが挙げられる。
AA型種類株式については、概ね5年の経過によってはじめて行使できる請求権(普通株式への転換または発行価格への換金)による実質的な元本保証がつけられている(上記⑤)。また、5年間にわたり、配当年率を段階的に引き上げる設計とされている(上記④)。
3つ目の特徴として、AA型種類株式には、中長期的な企業価値の向上に主たる関心を持つ株主が経営に影響力を及ぼせるように、普通株式と同一内容の議決権も付与されていることがあげられる(上記②)。
上場会社が、以上のような特徴を有する種類株式を発行することは前例がなく、その評価については賛否両論がある。
消極的評価を述べる代表格が、議決権行使助言会社の最大手の米インスティテューショナル・シェアホルダー・サービシーズ(ISS)だ。ISSは、AA型種類株式による安定株主の増加により、トヨタの経営陣に市場の規律が働きにくくなると評価した。
一方で、積極的な評価もある。
同じく議決権行使助言会社の大手である米グラスルイスは、AA型種類株式はトヨタの財務の柔軟性を高め、将来の事業機会の確保につながると評価した。
また、経営破綻の危機に瀕したときには株式を売却することが事実上困難である以上、AA型種類株式の株主は、業績悪化局面で経営陣に対してより批判的な投票行動を取る可能性が高いとの指摘もある。
私自身は、トヨタによるAA型種類株式の発行を積極的に評価している。
譲渡が制限され、普通株式への転換や発行価格での換金も請求できない5年の間にトヨタの業績が極端に低迷すれば、AA型種類株式の株主は、議決権を活用し、機関投資家による抜本的な経営体制の変更要求に賛成する可能性が高いのではないか。
むしろ、トヨタが今後5年間という中長期の成長にコミットし、その経営戦略について個人株主と積極的に対話を行っていこうという決意の表れとみることができる。
なお、トヨタは、2015年6月の株主総会の約2カ月前に、AA型種類株式に関する議案の説明資料として、「ご説明資料」や「Q&A」を公表した。特に「Q&A」は株主により分かりやすく議案の内容を説明しようとするものである。このようなトヨタの積極的な姿勢は、コーポレートガバナンス・コードのもとでの株主総会における株主との建設的な対話を目指すものといえる。
株主に合理的に説明するロジックが必要
AA型種類株式の議案に関する議決権行使の結果をみると、約24%の反対票が投じられた。また、株主総会の承認を得たものの、AA型種類株式を発行する利点が分かりにくいとの指摘などがあり、開催時間はトヨタの総会としては最長の3時間超となったとのことである。
今後、トヨタにおいては、反対の理由などについての原因分析を行い、株主との対話をさらに積極的に行うことが考えられる(コーポレートガバナンス・コード補充原則1-1①)。
また、他社において同種の種類株式の導入を検討する場合にも、発行の必要性などを株主などに対して合理的に説明できるロジックを十分に準備しておく必要があるだろう。
増える株主優待制度を活用する企業
より一般的な中長期保有志向の株主を確保するための方策として、トヨタのような種類株式の活用ではなく、株主優待制度を利用することも考えられる。
最近では、中長期の株式保有を優遇する株主優待を新たに導入する企業が増加している。
大和インベスター・リレーションズの調査によれば、2015年12月18日時点で、株主優待を実施している上場会社1251社のうち、190社が中長期保有の株主を優遇する制度を採用しており、中長期保有の株主を優遇する制度を採用した上場会社は2014年末から5割弱も増加したという。
持ち合い株式の減少などによる安定株主の減少を受けて、中長期安定株主を増やしたいという企業側のニーズが背景にある。
中長期保有の株主を優遇する株主優待制度を採用している企業の例としては、以下があげられる。
企業名 |
優待内容 |
イオン |
株式を3年以上継続保有している株主へ保有株式数に応じてイオンギフトカードを進呈 |
オリエンタルランド |
100株以上の株式を3年継続保有した株主へ株主用パスポートを2枚配布 |
ヤマダ電機 |
「1年以上2年未満の継続保有」、「2年以上継続保有」の株主(3月末基準日)に持株数に応じて優待券を贈呈など |
小林製薬 |
単元株式を「3年以上保有」している株主に対し自社製品詰め合わせの送付するなど |
株主優待制度をめぐっては、「株式会社は、株主を、その有する株式の内容及び数に応じて、平等に取り扱わなければならない」とする会社法上の株主平等原則に違反するのではないかという議論がある。
しかし、当該原則が求める株式の「数」に応じた平等取扱いは、株主の個性に着目せずに、株式の数に着目して合理的な取扱いをすることを求めるものであり、比例的取扱いを企業に義務付けたものではない。
株主優待制度のように、一定の目的を達成するために保有株式数に着目して段階的に区別した取扱いをすることは、合理性を欠く差別的なものでない限り、株主平等原則に反しないとするのが一般的な見解である。
中長期保有の株主を優遇する優待制度は、今後も増えていくと考えられる。
「重要なパートナー」確保のために求められる創意工夫
企業にとって「重要なパートナー」となる中長期保有志向の株主を確保するために、今後は各企業において創意工夫を行っていく必要がある。
また、このような取り組みは、積極的な情報開示やコーポレートガバナンス・コードに基づく株主との建設的な「目的を持った対話」によって、さらに充実を図ることができる。具体的な方策は、種類株式の活用や株主優待制度の活用など様々だ。
フランスでは、「フロランジュ法」の制定により、長期株主の保護強化のため、1株1議決権原則を定款に明記しない限り、株主名簿に2年以上登録されている株主に当然付与されることとなった。同法により、ルノーおよびエールフランスKLMなどにおいて2倍議決権制度が導入されたという。このような方法により中長期保有株主を重視していく国もある。また、日本では、トヨタのような種類株式とは別に、普通株式について、保有期間に応じて配当金を増額できるようにするための制度改正を望む声もある。
コーポレートガバナンス・コードのもと、各企業には、中長期保有志向の株主を「重要なパートナー」として持続的な成長を実現するための取り組みを行っていくことが求められる。
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