このように株主代表訴訟担保特約に係る保険料が役員個人の負担とされていた理由は、会社がこれを負担した場合、実質的に会社法上の報酬規制(会社法361条)や役員の対会社責任における責任軽減制度(会社法425条~427条)を逸脱するのではないかとの議論がなされていたためである。保険料は報酬そのものではないものの、実質的に役員にとって財産上の利得となることから問題視されていたのである。

 従前のD&O保険のもう一つの特徴として、税金の取り扱いがあった。従来のD&O保険では、普通保険約款に係る保険料を会社が支払った場合は会社の経費とすることができるうえ、役員への給与とならない。しかし、株主代表訴訟担保特約に係る保険料を会社が支払った場合には役員に対する給与課税の対象とされてきた。つまり、税務上は役員に対する報酬の中から支払っているものとして取り扱われていたのだ。

 このような従来のD&O保険の取り扱いには問題があると指摘されていた。役員個人が負担する保険料は、保険料全体の約10%とはいえ、年間数十万円から100万円超程度の負担となっていたからである。その個人負担が大きな要因となって、日本の上場企業集団におけるD&O保険による填補限度額が米国やドイツの企業に比べあまりに少額となっていたのである。

 すなわち、米国の上場会社の平均填補限度額は1億3260万米ドル(約159億円)であり、また、ドイツの上場会社の填補限度額は5000万ユーロから5億ユーロ(約64億5000万円から約645億円)に設定されることが多いのに対し、日本では、10億円以下に設定している企業が全体の約8割となっていたのである。米国やドイツではD&O保険料を会社が負担しており、役員個人が保険料を負担する日本の制度は珍しい制度であったのである。

新たなD&O保険料の取り扱い

 このような取り扱いがなされていたD&O保険であったが、2015年7月、会社がD&O保険料を全額負担することが適法との解釈が明確にされた。

 具体的には、取締役会の承認を得た上で社外取締役全員の同意を得るなど、一定の手続きを経れば、保険料を全額会社が負担することも適法であるという考え方が示されたのだ。上記の「コーポレート・ガバナンスの実践」である。

 その考え方の根拠は概ね次のとおりである。

 役員が会社に対して損害賠償責任を負うことには、(1)会社の損害を回復する損害填補機能および(2)違法行為を抑止する違法防止機能があるとされる。

 まず、仮に会社が保険料を全額負担したとしても、D&O保険により会社の損害が回復されるのであるから、(1)の損害回復機能は害されることはない。日本の標準的なD&O保険は、犯罪行為に起因する損害賠償請求や法令違反を認識しながら行った行為に起因する損害賠償請求等の対象となる取締役の悪質な行為は、免責事由として保険会社が保険金を支払う必要がないようにしている。D&O保険がカバーしているのは、職務執行から生じる不可避的なリスクのみであるため、会社が保険料を全額負担したとしても、役員に対し不適切なインセンティブが設定されることはなく、したがって(2)の違法抑止の観点からも問題がないということになる。