人には得手不得手があります。得意でないものには劣等感を持ちがちです。
十人十色というように人それぞれで、勉強が得意な人もいれば、手先を動かすのがものすごくうまい人もいます。「痛くない注射針」で有名な岡野工業の岡野雅行さんは機械でも簡単にできないものを、努力と生まれ持った手先の器用さで次々と作り上げてきました。
人は人、吾われは吾。自分が得意なものにひたむきに取り組んでいれば、いつかこれぞという成果を示すことができます。同じ時間で人が1歩進むのにあなたは半歩しか進めないものより、人が1歩進む間にあなたが2歩進めるものに集中していれば、差を100歩そして1000歩と広げていけます。
人間としての基礎をつくり上げる義務教育を受けている時には、自分の得手不得手を見つけるためにも、あらゆる教科を満遍なくこなしていくことは重要と思います。ただし、社会人になれば別です。「吾道一以貫之(わがみちはいちをもってこれをつらぬく)」と他人の存在に気を奪われず、自分の輝く部分を磨くことに集中するのです。
1つのことに集中することが鍵になるのですね。

何かをしながらこれもやると、2つのことを同時にするというのは時間を節約し得した気分になりますが実は違います。大事なことを聞き逃したり、重要なことを見落としたりして、ミスを取り返すためにかえって「時間が掛かってしまった」となりがちです。
お茶を飲む時は飲むことだけに、ご飯を食べる時は食べることだけに集中する喫茶喫飯(きっさきっぱん)という言葉があります。目標が高ければ高いほど、そこまでの道のりの長さが気になってしまいます。しかし、目の前のことに集中していると、「知らぬ間にゴールにたどりついていた」ということもあるのです。
仕事など長い人生の中では、自分がやりたくないこともしなくてはならないことがあります。

道元禅師はその場に応じて対応していく「柔軟心(にゅうなんしん)」を説きます。気の進まないことに取り組む時こそ、創意工夫して自分なりのやり方で成し遂げれば、「この仕事をこんなふうにやる方法もあるのか」と上司や同僚から感心を得ることもあります。
禅には「諸行無常(しょぎょうむじょう)」と「諸法無我(しょほうむが)」という2つの根底となる思想があります。あらゆるものは移ろいとどまることはないというのが諸行無常。あらゆるものには永遠不変の実体的存在がないというのが諸法無我。
諸行無常の中では、とどまろうとすることがストレスになります。「老いたくない」というのはその典型です。諸法無我はこの世はそれ単独で存在が完結するものはないということです。自分と他人、人以外の動物、植物を含めて、それぞれが掛け替えのない、ありがたい存在で、その関係に優劣はないのです。ですから劣等感も優越感も妄想にすぎないのです。
ありがたい存在と意識する
ことが優劣を超越する
(『日経マネー』2016年5月号の記事を再構成しました)
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