ピアニストの中村紘子(なかむら・ひろこ、本名=福田紘子=ふくだ・ひろこ)さんが7月26日、大腸がんのため72歳で死去した。中村さんは、2014年2月に腸閉塞の手術を受けた際、大腸がんが発見された。腹膜のがん細胞はすべて取り切れず、抗がん剤の副作用に悩みながらも、中村さんは演奏活動を続けていた。そのパワーは、どこから生まれていたのか。生前の中村さんへのインタビューを再掲載する。聞き手は、自身も肺がん患者である日経BP社の山岡鉄也。(収録日:2015年7月27日)
「お腹の中に分厚い本が入っているような違和感」
最初は腸閉塞で手術を受けられたとお聞きしました。どんな様子だったのですか。

中村 2013年の11月くらいから、仕事でヨーロッパを旅行していたんです。ドイツとかポーランドのお料理は、すごくこってりしていて、おいしくて、量が多いの。食いしん坊な私は、つい全部食べちゃって。そうしていたら、お腹の中に、なんだか分厚い本が入っていて、その角がごつごつあたるような違和感があったんです。
年末に帰国してから近所のクリニックに行ったら、胃薬と整腸剤を出してくださったんですけど、効かないんですね。1月4日のニューイヤーコンサートの前の晩に調子がおかしくなって「これはやばいかな」と思ったんですけど、不思議と当日になると痛みがなくなって。「あら、よかったわ」なんて、けろっとして演奏していました。
ところが、2月9日の夜に、ひどく具合が悪くなってしまったんです。翌日は私のデビュー55年にあわせて、コンチェルトを2曲弾くことになっていました。これはちょっと困ったなと思っていたら、お友達の娘さんがA病院で内科医をしているので「娘に電話してみたら?」と勧めてくださって。夜の10時半くらいになっていましたが、電話したら、「すぐにA病院の救急外来に来てください」と。
私は「明日はコンサートなので、お薬だけもらえれば」と言ったのですが、「いえ、すぐ来てください」というのでしぶしぶ行ったら、夜中にレントゲンやらなにやら調べてくださって、「腸閉塞ですから、このまま入院してください」と言われてしまいました。
「指が衰えてしまうから、家で指慣らしをさせてください」
その時はまだがんだと分からなかったのですね。

中村 そう。最初は家に帰るのもダメだと言われたのですが、「10分だけでも」とわがままを言って家に戻って、寝間着や歯ブラシをとってきました。そうして病院に戻ったら、すぐに点滴です。
翌日10日の演奏会も、先生から「とんでもない!」と言われたのですが、私だって「いまさらキャンセルできませんから」って、再びごねて…。結局、病院から会場に直行して、ピアノを弾いて、病院に戻ったら、またすぐ点滴。
そうして翌11日に、「すぐに手術しないと腸が破裂するかもしれません」と言われたんです。でも、17日にサントリーホールで演奏会の予定があって、チャリティで私が弾くところに皇后様がいらっしゃることになっていました。「私は皇后様をキャンセルできません」って、またごねて。
そのうえ、「指が衰えてしまうから、家で指慣らしをさせてください」なんてことも言いました。幸いA病院は家から車で10分くらいですから、1日2時間くらいうちに帰って、練習させてもらいました。お医者様は「とても危険ですよ」っておっしゃったけど、どうしてもとわがままを言って、やらせてもらいました。
激痛があったのではないですか。
中村 実は、点滴を始めて、食べものを食べなくなったら、すごく気持ちよくなったんです。たぶん、点滴の中に痛み止めとか、いろいろと入っていたんでしょうね。それで、こちらはむしろご機嫌なわけですよ。
でも、担当の女医さんは、気が気ではなかったみたい…。なんだか申し訳ないことをしました。あとで聞いたのですが、演奏会のときにはハンドバッグに注射器を入れて、最悪の事態に備えていて会場に駆けつけてくれたそうです。当の本人は、けろっとしていたんですけどね。
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