
文法は、英語学習の鬼門です。私はこれまで、社会人の方で文法のために英語が嫌になったという人に数多く出会ってきました。驚くべきは、高校生で進学校へ通っている生徒でも「なんだかもやもやして分かりくい」「英語的感覚のある人でないと難しいのでは?」と吐露する人が何人もいます。また、その一方で、「軽く聞き流していた」という強者もいて、これにも驚いたことがあります。しかし、これはどちらかというと例外的でしょう。
いずれにせよ、今回は、文法で苦労しなくて良いという点についてお話ししたいと思います。もし、文法が理由で英語で困っているという人がいれば、一読下されば何がしかのお役に立てるかと思います。
誤解されることが多いのですが、先に申し上げておくと、私は文法否定派ではありません。むしろ、文法は必須であると考えています。たとえば、アメリカやカナダ、イギリスなどの英語の環境下で、どっぷりと英語に浸かって4技能すべてを使って学習するのであれば、文法は必要ないかもしれません。しかし、「外国語」として、国内で英語を学ぶ限り、文法は必須だと考えています。
発想を変える
しかし、文法については、私の目から見て、もっとも大切な視点が欠けているように思います。そこをはっきりとさせずに文法論議をしても、結局堂々巡りで、一歩も前に進めません。文法でつまずく人が多いのも、英語のやり直しが上手くいかないのも、多くの場合はそこに原因があるのではないかと考えています。では、何が欠けているかというと、それは「どのような文法が必要か」という発問と、それに対するアンサーです。
これまで、英語教育では文法が「必要か、不要か」という点についてずっと議論されてきました。しかし、「どのような文法が必要か」という点に着目し、アンサーを出した例は寡聞にして知りません。実際のところ、文法関係については数十冊程度に目を通していますが、イラストを利用したりして、分かりやすく工夫しているものはあっても、高度な英文構造や文法項目をシンプルに読み解くようなものは、まだ出てきていないように思います。
私自身も文法には大変苦労しましたので、これを何とかしたいと願ってきたのですが、その結果何が分かったかというと、「受信文法」というものが有り得るということでした。言葉には「発信」と「受信」の2つしかありません。それなら「文法はいったいどちらのためにあるのであろう?」と考えたわけです。
面白いことに、この点について、ある有名大学の言語学の教授に「文法は受信と発信のどちらの為にあると思われますか」と聞いたところ、その方の答えは「どちらかと言われれば発信でしょうね」でした。ところが、同じ質問を高校生たちに聞くと、ほぼ100%が「受信のためだ」と答えたのです。
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