にわかには信じ難いですが、「ゼロ」というのは十分に有り得ると思います。しかし、私自身は完全にゼロにするよりも、もっとも重要な、根幹的な部分を少し残す方が、学習効果は上がると考えています。

 英語教育において、文法はこれまで最大の問題点でした。文法で英語が分からなくなる人、英語が嫌いになる人がたくさんいることを、私たち(の多く)は実感として知っています。人工知能が人間の脳を越えるかも知れないとささやかれる現在でも、多数の学習者が文法で苦しんでいます。

 これも当然と言えば当然かもしれません。なぜなら、学術の分野でも、文法が必要かどうかについては、100年以上にわたって論争されているからです。いくらIT技術が進歩しても、「これは他動詞だから…」とか「不可算名詞だから…」などと解説していては、これまでと異なる結果を生み出すことは難しいと思われます。

「特異点」は起こるのか?

 しかし、英語学習の「特異点」は本当に起こるのでしょうか?―――起こります。というか、すでに起こしている人がいますし、私も起こしています(※)

(※)例えば、英語の私塾では、文法を教えない、あるいはごくわずかしか教えないところがあります。ただ、皮肉なことに、学校のテスト対策のために「教えざるを得ない」というケースがあるようです。

 私はというと、このコラムですでにご紹介しているように、5文型の「ご」も使わない授業、分詞構文の「ぶ」も使わない授業、さらには仮定法の「か」も使わない授業を予備校や大学で展開してきています。

 準備に少々手間はかかりますが、態や話法の転換などの、「特殊」というか珍妙な文法問題にも対応することができます。

 そういう新しい英語教育が、熱意ある人たちによって、私たちの知らないところで着実に行われており、多くの人が「特異点」を越えることのできる日がすぐそこまで来ています。

 では、どうして、文法解説のない英語の学習が可能かというと、言葉というのはつまるところ、「形(音声)と意味」に過ぎないからです。ですから、その原点に戻り、日本語やイラストをうまく使って「意味」を伝えるようにすると、あとは「形(音声)」に慣れるだけで正しい英語が身に付くのです。

文法書が難しい理由

 逆に、どうして一般の文法書が難しいかというと、それは「形と意味」の間にある自然な関係を、わざわざ難しい言葉で説明しようとしているからです。つまり、知らなくてもなんら問題のないものをわざわざ意識させてしまうからなのです。

 近年で、私がもっとも驚いた例では、There構文についての解説で「新情報・旧情報」という言葉が使われていました。これは、言語学的にはとても興味深い点なのですが、このような言葉を使って説明しなくても、きちんとした英文には、すべての情報が「初めからすべて正しく含まれている」ので、その英文自体を素直に吸収することで、学習者はごく自然に英語を身に付けていくことができます。

 そもそも、英語はこのような文法用語が生み出される前から、多くの人たちによって正しく習得されていました。わざわざ、「これは新情報と言われます…」などと解説される方が、かえって混乱しやすいと言えるでしょう。