ところが、21世紀に入って、事情は大きく変わってきました。脳科学の進歩のおかけで、脳がどのような情報処理を行っているかが分かり始めたからです。

 脳はルールを操りながら言葉を話しているのではありません。「決まった形」として覚えた情報が多数重なる中で、そこにある規則性を自然に理解していき、それにしたがって情報を組み合わせているだけなのです(※)

(※)その規則性について解き明かそうとするのが言語学です。しかし、規則性はあくまでも規則性であって「規則」ではありません。つまり、「ゆらぎ」があります。そのため、文法にはいくつもの種類があります。私たちは文法を絶対的なものだと考えがちですが、どの文法もまだ不完全です。もし完全なものがあれば、文法学者がいるはずもありません。

 実際のところ、コンピューターを使って言葉を分析する手法(コーパス言語学)などの成果もあって、人が使用する言葉のほとんどが、決まり文句の組み合わせであることが分かっています。

 そう考えて振り返ってみると、私たちも、普段日本語を使っている中で、繰り返し耳にする言葉やフレーズ、印象深く残った言葉やフレーズはごく自然に使えるようになりますね。いや、それどころか、それらの表現を少し変形して(=応用して)仲間同士で面白おかしく使うことさえあります。

 また、少しフォーマルな日本語を書きたいと思ったときには、「~の書き方」や「~の例文」といったテンプレートを参照してそれを変形(=応用)しますね。

 そのとき、いちいち国文法を参照して“用法”が正しいかどうか調べるでしょうか? 調べませんね。なぜかというと、私たちは本能的に、パターンの中に“正解”があることを知っているからです。

 そもそも、もし、暗唱がどうでも良いようなものであれば、国語の教育において、百人一首や和歌、そして俳句を暗唱することや、優れた和文を朗読することは「単なる時間の無駄」ということになります。

 ――あなたはどう思いますか。

 いずれにしても、文法を詳しく習ったのに、いざ話すとなると手も足も出ない……その原因は、1つひとつルールを参照して英文を「作ろう」とするからなのです。作ろうとせず、正しい英文、美しい英文、論理明快な英文をそのままそっくり暗唱すると、「強力なテンプレート」が多数身に付き、さらにそれらの間で相乗効果が生まれるため、これを言いたいと思った瞬間に的確な表現が口を突いて出るようになるのです。

なぜ暗唱は避けられるのか。

 このように、暗唱は間違いなく強力な学習法で、その効果については、明治の昔から現代に至るまで、何度も何度も実証され続けています。実際のところ、英語の達人というのは、例外なく必ず暗唱・朗読、あるいはそれに準じた学習を行っています。

 ではなぜ、暗唱は日本の英語教育に取り入れられないのでしょうか。ここには、大きく2つの理由があります。

 1つ目は、入試(とくに大学入試)にスピーキングテストが無いということです。「学習はテストに規定される」―――それが学習とテストの間にある鉄則です。ですから、話す力、あるいはスピーチをする力がテストされないとなると、暗唱どころか、正しい発音や読み方さえ教えられずに放置されるということになります。

 おそらく、英語の先生の中には暗唱や朗読の重要性を理解されていて、なんとか実施したいと考えている方がいるはずです。しかし、入試に出ないとなると、そもそも学習者、つまり生徒にモチベーションが生まれません。現代ほど、暗唱が手軽に、そして的確にできる時代はかつてなかったわけですから、これはとても皮肉な話です。