ICTそしてAI

 私が、「10年程度は」というのは、昨今のICTそしてAI(人工知能)の進歩を見ていると、「文法で埋め尽くされた教育」を、いわば飛び越えるような現象が近い将来に起きるように感じるからです。ICTやAIをうまく活用すると、ビジュアルで直観的な理解、自在でダイナミックな動画、母語の自在な活用、音声速度の調整、英作文の自動チェック、発音チェック、さらには自然に近い会話練習までもが実現できます。

 このようなトレーニングを行うと、文法を学ばないのにしっかりとした英語力が身に付き、その結果、4技能(読む、聴く、書く、話す)はもちろん、私たちがこれまで散々頭を悩ませてきた文法・語法問題についても、ほとんど問題を解かなくても自然に解けてしまうという現象が起きると考えられます。

 しかし、そのようなシステムを実現するには、一つの大きな障壁があります。それは、アプリケーションを設計する人間自身が言語の習得についてしっかりとしたイメージを持っている必要があるということです。いくらICTといっても、細かい文法解説をあれこれやっているようでは、意味はありません。中途半端なことをしていては、かえって英語力が落ちることも考えられます。

 私も、「文法ゼロ」のシステムはイメージはできるものの、実際問題として限られた授業時間・学習時間でそれなりに高等な英語力を身に付けることは容易ではないと考えています。それに加えて文法をゼロにするには、小学生低学年から母語が一定安定したタイミングを見計らってトレーニングを開始する必要があるでしょう。しかも、その「文法ゼロシステム」は、高校にまでしっかりとつながっていく必要があります。「三人称単数現在とはね……」とやり始めると、すべてが元の木阿弥で、これまでと変わらない「中1ショック」あるいはその“低学年バージョン”が起きることになり、せっかく育て上げた言語感性が破壊されることになります。

「インターフェース」(接合システム)は必要?必然?

 私は、先にあげた英語教育全体の規模から考えて、「文法ゼロのシステム」が広く実現するまでには、必ずこれまでの文法偏重の手法とのインターフェース(接合システム)が必要とされると考えています。そして、そこでは必ず「極限にまで簡素化された文法」と「母語の活用」の2つの要素が必要になると考えています。いや、ひょっとすると、そのシステム自体がベストアンサーである可能性も除外はできないかもしれません。なぜなら、フィリピンなどと違い、私たちにとって英語はあくまでも外国語であり、「ごく限られた時間と日本語環境の中」(←ここが本当に理解されていない)である程度のレベルにまで到達することが(いったんは)要求されているからです(※)。

(※)「いったんは」と断りを入れるのは、あと3~5年もすると、AIによる自動翻訳、さらには自動通訳が飛躍的に進歩すると考えられ、本当に高等なレベルを目指すのか、「AIを補助できるレベル」(逆ではない)であればそれで良いのかについて議論が起こることも考えられるからです。

英語に関する限り、私たちの能力は30%程度しか引き出されていません。これはとても残念なことです。どうすれば残りの70%の能力を発揮できるのか。さまざまな観点から考えています。私の公式サイトはこちらです