これは当たり前のことですが、どのような事でも、学ぶときには敷居は低い方がベターです。英語の学習でも同じで、なるべく抵抗なく入っていける方が良いに決まっています。ではどうすれば英語の学習の敷居を下げることができるでしょうか。この点でとても興味深いのが、前回紹介した横浜市の公立中高一貫校で実施されている5ラウンド制という教え方です。
この方法では、英語への入り口において文法的な解説を行いません。日本の英語教育もこの10年ほどで随分と進歩していますが、今でも検定教科書を見ると、特に高等学校用のものでは文法用語が並んでいます。実際に、大手の会社によるリサーチでも、文法が苦手で英語が嫌いになっている生徒が今でもたくさんいます。その意味で、「入り口」において文法解説をしないというのは、とても斬新ですし、間違いなく英語への敷居は低くなります。
音声を重視する
では、5ラウンド制がどのようにして文法のない学習を実現しているかというと、それは「音声インプット」の重視です。音声は文字よりも情報が軽いので、学習者の負担が下がります。また音楽などを聞いていると、知らないうちにメロディや歌詞を覚えてしまうように、音声には記憶に残りやすいという特長もあります。5ラウンド制では、そこにイラストなどでイメージを与えることによって、学習を進めます。英語、つまり言葉というものは、もともと音声と意味から成っていますので、音声と意味を組み合わせれば、英語は身に付いていきます。
ここは、ごく当たり前のように聞こえて、私たちがなかなか理解できていない点です。多くの人にとっては、「言葉が音声と意味から成っている」と言われても、イメージしにくいというのが本当のところではないでしょうか。しかし、理屈からよく考えて見ると、そう考えざるを得ないのです。人間が初めて言葉というものを使い始めたとき、まず音声が使われ、その後、文字が生まれたと考える方が自然です。音声よりも文字が先にあったとは考えにくいです。赤ちゃんや幼児が母語を学ぶときにも、まず音声から入ります。なぜでしょうか? その方が「ナチュラル」だからです。
クラッシェンの理論
面白いことに、この点に着眼して外国語の学び方を論じた人がいます。ステファン・クラッシェンという人です。彼は、自らの教授法を「ナチュラルアプローチ」(Natural Approach)と名付けました。「ナチュラルアプローチ」はその後、楽曲で言うならスタンダードナンバーとも言える定番理論となり、今日に至るまで大きな影響を及ぼしています。
私がこの教え方について知ったときには、書籍以外ではその詳細を知ることが出来ず、彼が伝えたい点をはっきりと理解することは困難でした。しかし、今ではYouTubeで彼の講演の動画を観ることができます(例えば、この動画などが参考になります)。よく、「聞くと見るとでは大違い」と言いますが、読むと見るとでも大きく違っていて、この動画にはかなりのインパクトがあります。
動画の中で彼がどのような説明を行っているかというと、簡単な人の顔のイラストを描いていきながら、耳や目などをドイツ語で説明しています。ただそれだけです。もちろん、色々と理論的な説明をしてはいるのですが、やっていること、記憶に残ることはこれだけです。本当に、ある意味で、まったく何でもない動画です。しかし、この動画を見ると、言葉の本質が「音声と意味らしい」ということが直観的に理解できます。敢えて「らしい」としたのは、一点どうしても腑に落ちない点が残るからです。それが文法です。
5ラウンド制がどこまでこの人の考え方を参考にしたのかは分かりません。しかし、言葉の入り口において、音声と意味にフォーカスした訓練を、それもイラストを使って行うという点では大きな共通点があります。一方で、双方ともに同じ疑問が生まれます。それは、文法は教えなくて良いのだろうか、文法がないと文章を正確に書いたり話したりできないのではないのだろうか、という疑問です。
なぜ中学の教科書か?
ここで重要になってくるのが、実は中学校の教科書の「文法的な作り」なのです。中学の教科書は、ワンステップずつ段階的に文法を理解できるように作られています。これはごく単純にいうと、やさしい英文から複雑な英文へと段階的に難度が上がるようになっているということです。もちろん、これは文法を重視した教え方のための仕組みなのですが、発想を変えることで、全く異なる使い方ができるのです――それが、「音声と意味」に焦点を当てた教え方です。
このあたりは理屈を言い出すとかなり複雑になりますので、サクッと説明します。これまでのように、文字を学び、文法を学んで、さらに問題演習をすると多くの時間がかかります。それがゆえに、教科書は1年間かけて教えられるわけです。しかし、文法をいったん脇におき、音と意味に焦点を当てた学習をするとどうなるでしょうか。音声は情報量が軽く、文字よりもはるかにインプットしやすいので、中学の教科書1冊分程度であれば、全部トレーニングしたところでそれほど時間はかかりません。
中学の教科書は、ワンステップずつ段階的に複雑になるように作り込まれていますので、これを使って高速で学ぶと、多量の情報が無理のない形で整理され、蓄積されていくことになります。もちろん文法に関する情報もです。たとえば、1年分の教科書を3カ月で終了すると、事実上1年分の文法が、取りあえずは、頭の中に入るわけです。
もちろん、音声インプットだけではあやふやなところも出て来ますので、文字でのフォローも必要です。しかし、意味をつかみ、音声をインプットし、文字でのフォローまでをかけると、文法解説はごくわずかで済むことに成ります。たとえば、「be動詞と一般動詞は一緒に使えない」と言った解説は不要です。なぜなら、たとえ1~3年分の教科書をすべて学習しても、この二つの動詞が同時に使われる例は「無い」からです。また、「There構文が使われるのは新情報のときだ」などという説明も不要になります。これも、そういった解説をしなくても、きちんとそういうコンテクスト(背景情報)の中でThere構文が出てくるからです。その他、語順などの説明が不要もなります。これは、容易に想像がつきますね。
受信文法
この点は、私が提唱する「受信文法」の考え方と密接に関連するところです。これまでは、文法の役割が明確ではありませんでした。つまり、「発信」のためなのか、「受信」のためなのかがあやふやでした。それが、そのまま何となく英作文のために必要、あるいは文法・語法問題のために必要とされ、今日まで教えられてきたのです。5ラウンド制はこの問題について、一定の答えを出したと言えるでしょう。
私自身も、これまで細かい文法解説を行ったことがありませんが、それでも長文が読めるようになりますし、文法・語法問題も解けるようになります。また、文法なしに、たったの1カ月半で、中国語で映画について話すことができるようになる教材を設計・製作したこともあります。これは英語版も作られ、イードアワードという賞を2年連続で獲得しています。その発展版が「スピークエッセンス」という教材です。私たちはどうしても文法を通して英語をとらえがちですが、この会話教材で学ぶと、「文法の無い世界」が本当にあること、また、文法を使わない方が、自然に会話ができるという点を実体験することができます。
英語教育の新しい方向性
私の見解では、今後5ラウンド制がますます研究され、高度化されていくとしても、文法は決してゼロにはならないと思います。しかし、全体として、より負担が少なく効果的な英語教育が実現していくことは間違い無いと思います。これは、英語教育の新しい方向性であり、可能性であるといって良いでしょう。
英語に関する限り、私たちの能力は30%程度しか引き出されていません。これはとても残念なことです。このコラムでは、どうすれば残りの70%の能力を発揮できるかについて、日本語を活用するという手法を中心にさまざまな観点からお話ししていきます。
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