生産性の測り方に問題がある可能性も……(写真=PIXTA)
生産性の測り方に問題がある可能性も……(写真=PIXTA)

 筆者は数年前まで、ある大学の大学院で、アジアからの留学生を対象に経済学、経済政策を教えていた。留学生の中には、卒論に自国産業の生産性をテーマに選ぶ学生がおり、その中身はおおむね次のようなものだった。

 「アジアの国々は経済成長を遂げ、農業中心から製造業主体へと産業構造の転換が進んできた。しかし、製造業の労働生産性を計測して先進国と比べると、なお大きく見劣りする。このギャップを縮めることが、今後の経済成長のために重要である」

 このような考え方は、日本でいう経済産業省系の省庁からの留学生に多かったように思う。こうした省庁には、今後の自国経済をどのような方向に導くのが最善かという問題意識が強いのだろう。この点は、わが国にも共通するかもしれない。

 このような論旨に対し、筆者は口頭試問において疑問を提起した。企業の価値を決めるのは生産性の高低ではなく、その収益性である。途上国では、先進国と同じ製品を作る際にもその生産工程は資本/労働比率が低い傾向があるが、その理由は途上国では資本が相対的に希少な一方、安価な労働力が豊富にあるので、労働集約的な生産工程の方が割安だからである。これに政府が政策的に介入し、最新の技術(を体化した資本財)の導入を奨励すれば、計測される労働生産性は上がるかもしれないが、経済にゆがみをもたらすことにならないか。

 この質問を受けた学生が答えに窮したため、同席していた指導教官が助太刀に乗り出した。いわく、「武田先生は『1人当たり国内総生産(GDP)の増大は望ましい』という命題を否定するのか?」。この反論は、前回述べた「国全体の付加価値生産性は1人当たりGDPに対応している」という点を踏まえたものであり、一見もっともらしい。

 しかし問題は、個別企業の労働生産性を高める方策を取ったからといって、国全体の経済厚生が高まるとは限らないことである。資本設備の増強による労働生産性の改善は、労働者がしている作業を機械に任せることを意味する。これによって当該企業は「近代化」を成し遂げるかもしれないが、割安な生産要素を割高な生産要素で代替しているので、それによって収益はかえって悪化するかもしれない。

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