
生産性に対する関心が高まっている。学者や専門家が相次いで著作を出版しており(*1)、政府機関、研究機関、評論家、メディアなどが生産性向上の必要性やそのための方策を論じている。政府が毎年策定するいわゆる「成長戦略」で生産性に頻繁に言及し、2018年5月には「生産性向上特別措置法」と銘打たれた新法が制定されている。
生産性論議の高まりの背景には、次のような命題がある。
(1)わが国の経済の活力、成長力の停滞が顕著である。人口の減少、そして老齢化が進む中で成長を続けるには、労働生産性を高める必要がある。すなわち、労働者1人(あるいは1時間の労働)が生み出す付加価値を、継続的に高めていかねばならない。これが実現すれば、経済全体の付加価値(GDP)が増大するのみならず、国民一人ひとりの豊かさも向上する。
この命題は大筋として正しい。経済の持続的な成長のためには、需要刺激策に頼るのではなく、供給サイドの改善が必要である(*2)。
上記命題の続きとして、次のような命題が示されることが多い。
(2)わが国の生産性は多くの産業分野で欧米に劣後しているが、その程度が特に大きいのはサービス業である。わが国を含む先進国では、経済に占めるサービス業のウエートが趨勢的に高くなってきているため、サービス業の低生産性が続くと、欧米に対するわが国の劣位も時間と共に深刻化する。従って、サービス業における生産性の改善が喫緊の課題であり、これなくしてわが国の経済の今後の成長や繁栄はおぼつかない。
この命題に対して、筆者は強い違和感を持っている。本稿ではその理由を説明し、わが国の低生産性問題、特にサービス業の低生産性問題に関して疑問を提起する。この点を検証することは、今後の成長戦略を正しく設定するために重要である。また、もしいわれなき非難がわが国のサービス業に向けられているとしたら、それを正すことには意義があるだろう。
初めに申し上げておくと、筆者の専門は生産性やそれに関連する分野(企業の生産、雇用、投資など)ではない。このため、本稿のベースである武田(2021b)を執筆した際も、その動機は学問的なものではなく、生産性に関する通説(上に述べた命題2)と筆者の実感の乖離(かいり)だった。
筆者は米国で16年、スイスで3年暮らし、その間に日本と外国を比べる機会が多々あった。この経験を通じて、日本のサービス業が欧米と対比して著しく劣っているとは思えず、むしろ総じて極めて優秀だと感じてきた。このような自分の実感を説明することが、前稿の主な目的だった。
本稿の執筆に当たり、専門家の手になる研究書、解説書、論文等にさらに目を通し、碩学(せきがく)による多くの分析があり、かつその基礎となるデータベースが長年構築されてきたことを知った。しかし同時に、研究書や論文はもちろん、一般読者向け解説書においても、生産性概念の意味や限界について十分説明されていないと感じた。
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