「お客様第一主義」「顧客目線」など、顧客のニーズや感覚を大切にする趣旨の言葉を多くの企業が経営の目標に掲げている。だが、そうした企業はビジネスの結果を左右する顧客の心を見ているのだろうか? 顧客行動の結果でしかない売り上げや利益など財務諸表しか見えていないのでは——。そう問いかける西口一希氏は、P&Gで「パンパース」や「パンテーン」などのブランドを手掛けた後、ロート製薬やロクシタンジャポン、スマートニュースの事業を成長させてきた。さらに、その経験を生かしてM-Forceを共同創業し、多くの企業を支援している。西口氏による本連載では、マーケットを構成する顧客の全体の姿を可視化・定量化し、動態で捉えて事業成長に直結させる「顧客起点の経営」をひもといていく。

 連載最終回となる今回は、ソニーのテープレコーダーがどのように普及したかを、顧客起点の考え方で読み解く。

ソニーのテープレコーダーから学ぶこと

 6月から続けてきた本連載も、今回で最終回となります。顧客起点の経営改革と題して、ここまでに複数のフレームワークを提示してきました。いずれの考え方にも共通しているのは、文字通り「顧客を起点に」、つまり顧客の状況や心理を踏まえて事業を運営し、経営を継続することです。企業の視点でどれだけいいと思うものを生み出しても、それに価値を見いだす顧客がいなければ、「顧客戦略(WHO&WHAT)」が成り立たず、事業が立ち行きません。一定の顧客がプロダクトに価値を見いだしてこそ、対価を支払っていただけるのです。

 今回は、その象徴とも言える事例をご紹介したいと思います。ソニー(現ソニーグループ)がまだベンチャーだった創業時の話です(以下、参考:『ソニーの国際戦略―ソニーは市場を“創造”する』講談社、ソニーグループ公式サイト「Sony History」)。

 ソニー(当時の東京通信工業)は1950年、日本初のテープレコーダーを発売しました。テープを巻き取るリール部分が外付けにされた、オープンリール型の大きな機械です。重さは35キロ、価格は16万円。翌年6月の第10回国会にて、参議院記録部が同製品を導入し、速記と併用する形で議事の録音に試用されたそうです。

 最初の製品は、ガバメントの頭文字からG型と名付けられ、続いてホームのH型、パーソナルのP型と改良を重ねていきました。当初はまったく売れなかったものの、ソニーの創業者の一人である盛田昭夫氏と、このテープレコーダーに可能性を感じて仕入れていた八雲産業の倉橋正雄氏の尽力により、数年のうちに一気に普及していきました。

 日本初のテープレコーダーですから、発売当初から圧倒的な独自性は備えていました。そのため、盛田氏ともう一人の創業者である井深大氏は、G型が完成した際に「これは飛ぶように売れるはずだ」と喜んだそうです。盛田氏が周囲に熱心に薦めると、おもしろそうだと興味を持つ人は多く、宴席などにデモンストレーションに何度も出向きました。しかし、興味は持たれても購入には至りません。同じく倉橋氏も各所にG型を見せて回ったものの、1台も売れませんでした。大卒の初任給が4000円と少しだった時代に、16万円という価格でした。

 売れなかった理由は価格が高すぎたように思えますが、両氏がその時点までに接触した人たちには「対価を払うだけの『自分ごと化』できる明確な便益を見いだせなかった」ことが本質的な理由だったと思います。画期的な製品だけに、どう使えば具体的に自身の仕事や生活にメリットをもたらすのか、その対価を回収できるのか、誰も想像ができなかったのです。つまり16万円の価格を正当化する便益提案がないがゆえに、「価値」が見いだせない状態であったわけです。そのままでは、たとえ価格を下げて10万円にしても売れなかったのではと思います。

 その後の普及への転換点は、足で稼いで「誰が顧客たり得るのか」を見つけたこと、そして「その顧客にとっての『便益』は何か」を洞察し、そのターゲットになり得る顧客層に明確に伝えていったことにあります。「誰が顧客なのか」という観点で、ここでは2つの顧客層を取り上げたいと思います。1つは、学校。もう1つは、法務省です。

顧客はどこにいるのか?

 井深氏や盛田氏が「もっと小型の製品が必要だ」と、普及を目指して改良されたH型は、重さ13キロの木製のトランクケース型にして1951年に発売しました。くしくも当時、世の中は進駐軍の政策の一環で、視聴覚教育が盛んになりつつありました。例えばラジオを録音して、各学校のカリキュラムに合わせて流せば、より教育効果が見込めます。文部省(当時)とNHKを中心に、全国の学校へ学校放送の指導が始まっていたことを知ったソニーは、その指導のためにちょうど開催されていた放送教育研究大会に、H型テープレコーダーを何十台も貸し出したのです。

ソニーの普及型テープレコーダーH型(写真=ソニー提供)
ソニーの普及型テープレコーダーH型(写真=ソニー提供)

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この記事はシリーズ「「顧客起点の経営改革」~経営に「顧客」を取り戻せ」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。