2010年10月5日に開かれた金融政策決定会合(写真:共同通信)
2010年10月5日に開かれた金融政策決定会合(写真:共同通信)

 リフレ派の主張の妥当性は、その満願がかなった量的・質的金融緩和(QQE)の実施によって試されることになる。従って、本連載の興味の中心もQQEの効果にあるが、そこに至るまでさまざまな曲折があった。今回は、QQE以前に何があったか、簡単に振り返っておこう。

金融政策の死

 リフレ派の主張を一言で表すなら、「デフレ解消のため金融政策をしっかり緩和せよ」ということだが、問題はどうすれば「しっかり緩和」できるかである。つまり、第1回で示したリフレ派の定義の中の「金融政策により対処可能、そして対処すべきだ」の部分を、どのように具体化するのか。

 日銀に限らず、多くの中央銀行の伝統的な金融緩和の手段は、政策金利の引き下げを通じた市場金利の低め誘導だった。これにより投資が刺激され、株価・地価など資産価格の上昇を通じて消費の拡大も期待できる。景気が悪化し、インフレ率がマイナス圏内に沈むような状況では、日銀ももちろん金利を引き下げてきた(*注1)。しかし、金利をゼロ%まで引き下げても景気やインフレ率が上向かず、それ以上の利下げ余地がなくなったらどうすればよいのか。

(*注1)その程度やタイミングが不適切だったという批判はしばしばなされており、リフレ派の主張の背景には、日銀の政策判断に対する大きな不満や疑問が存在する。ただ、本連載の対象は金融政策の方法論なので、政策判断の是非には立ち入らない。

 このような状況は、1990年代末に出現した。90年8月に6%に達した政策金利はその後徐々に引き下げられ、99年2月から「ゼロ金利政策」が始まった。当時筆者は、国際通貨基金(IMF)の日本理事室に勤務していた。仕事柄、IMFの日本担当チームのメンバーと議論する機会が度々あったが、「死後の世界はあるか(Is there life after death?)」をもじって、”Is there monetary policy after ZIRP (zero interest rate policy)?” について話し合ったことを記憶している。正に、「金融政策の死」が意識された時代だったのである。

 しかしリフレ派にとっては、おそらくゼロ金利は本質的な問題ではなかっただろう。もともと彼らは金利ベースの政策運営に懐疑的で、貨幣量の調節を使った金融政策を良しとしていた。たとえ金利操作の余地がなくなっても、貨幣量の調節が可能であれば、「正しい道が残されたので、その道を進めばよい」と考えていただろう。

続きを読む 2/4 量的緩和の導入

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この記事はシリーズ「金融政策の混迷――リフレ派は何を訴え、何を残したか」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。