3月1日スタート・連載のはじめに
 2013年4月、黒田東彦新総裁の下で、日本銀行は量的・質的金融緩和(QQE)を導入した。このとき日銀は、「消費者物価の前年比上昇率2%の『物価安定の目標』を、2年程度の期間を念頭に置いて、できるだけ早期に実現する。このため、マネタリーベースおよび長期国債・ETFの保有額を2年間で2倍に拡大し、長期国債買い入れの平均残存期間を2倍以上に延長するなど、量・質ともに次元の違う金融緩和を行う」と高らかに宣言した。この政策は、黒田以前の日銀の漸進的な政策とは明らかに異質であり、大きな驚きと期待をもって迎えられた。

 これに先立つ2012年末、政権を奪還した自民党のリーダーである安倍晋三は、「デフレ克服のために何でもやる」と繰り返し、黒田はその意を受けて総裁に任命された。しかし、QQEの生みの親は安倍や黒田ではなく、「リフレ派」と呼ばれる一群の大学教授・エコノミストである。彼らは1990年代から「デフレの元凶は日銀の不適切な金融政策だ」との論陣を張り、量的緩和やインフレ・ターゲティング(IT)を柱とする強力な金融緩和の必要性を訴えてきた。

 これに対して、わが国の経済問題は金融政策によって解消できる「貨幣的現象」ではなく、構造改革等の供給サイドの改善策を必要とすると主張する「反リフレ派」も存在し、リフレ派との間で論争が繰り広げられてきた。QQEの導入は、この論争にリフレ派が勝利し、彼らの長年にわたるキャンペーンが現実の政策に結実したものである。リフレ派は単に政策論争に勝利しただけでなく、そのメンバーが多数日銀の重職に任命され、金融政策の決定・実施に直接関与するに至った。

 経済学や経済政策論の世界では、見解を同じくする学者のグループが形成され、異なるグループとの間で学術論争が行われるのは珍しいことではない。しかし、その中の特定のグループの主張が為政者に全面的に受け入れられ、完全な形で実施に移される、しかもそのグループのメンバーが政策の決定・実施に直接関与するというのは、めったにあることではない。この結果として、リフレ論争は単なる学術論争にとどまらず、1つの社会現象となった。

 QQEの導入から8年がたち、日本経済はどうなったか。幾つかの面でそれ以前と比べて確かに改善しているが、リフレ派が描いたシナリオ通りには動いていない。日銀のバランス・シートが異様なまでに拡大したにもかかわらず、インフレ目標はいまだ達成されておらず、経済成長も目に見えて上向いてはいない。「異次元緩和」は形を変えつつ続いているのに、「バズーカ」にも例えられたこの政策は、いまや国民から忘れられているように見える。これは一体、どういうことか。

 リフレ派がQQE導入以前に何を訴えたのかについて、多くの人の記憶は既に薄れている。またQQEがどのような効果をもたらしたのか、そしてそれがどの程度、リフレ派のもともとの主張と合致あるいは乖離(かいり)しているのかも、なかなか分かりづらい。本連載では、リフレ派の言説をたどりつつこれらの点を解説する。具体的には、量的緩和やITが、どのような波及経路を通じて実体経済や物価に影響を与えると主張されていたか。そしてそれらの経路が、QQEの導入後、実際にどの程度働いたのか。疑問の余地なく働いた部分があった一方、リフレ派が期待していた重要な経路の幾つかが机上の空論であったことが、QQEの下で明らかとなった。

 十分な効果がない中、QQEとITは8年にわたって表向き続けられているが、この間にこれらが変質し、その実体が既に失われていることも説明する。具体的には、2016年のマイナス金利およびイールド・カーブ・コントロール(YCC)の導入は、日銀が実質的に量ベースの政策の限界を認め、伝統的な金利ベースの政策に回帰したと解釈できる。

 しかし、もともと金利ベースの政策の限界を破るべく量的緩和が導入されたことを想起すれば、金利ベースに戻せばうまくいくというわけではないのはもちろんである。YCCは現状維持の方策であって、リフレ派が約束したような「金融政策による日本経済の復活」をもたらすものではない。またITは、2018年に日銀がインフレ目標達成を見込む時期の公表を停止した時にその精神が失われ、今では形骸化している。つまり、わが国の金融政策は袋小路に陥っており、反リフレ派が主張していたように、金融政策で日本経済を抜本的に改善することはできないという点が確認されるに至っている。「異次元緩和」が国民から忘れられているのも、無理のないことである。

 リフレ派の想定通りにいかなかったとはいえ、リフレ派に功績がなかったわけではない。何といっても、慎重だった日銀の姿勢を根本的に変え、「やれるだけのことをやってみた」のは大きな功績である。結果として期待外れではあったが、この実験から学ぶところは多々あった。また、QQE前に反リフレ派が指摘していた(そしてリフレ派が強く反論していた)、大規模な量的緩和がもたらしうるリスクの多くは、これまでのところ発現していない。効きの悪い薬だっただけに、副作用も少なかったというわけである。その意味で、リフレ派のせいで日本経済は大変なことになってしまった、というわけではない。

 しかし、それをもってリフレ派が免罪されるわけではないというのが、本連載の結論である。それはリフレ派が、「この実験から学ぶところ」を正面から受け止めておらず、QQE前に主張したことの誤りを認めてそれを改めたり、日銀や反リフレ派に対して行った傍若無人な批判や誹謗(ひぼう)中傷を反省したりする姿勢を全く見せていないためである。「過ちて改めざる 是を過ちと謂(い)う」。リフレ派は孔子のこの教えをかみしめ、自らを処す必要があるだろう。

(文中敬称略)

この記事はシリーズ「金融政策の混迷――リフレ派は何を訴え、何を残したか」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。