渋沢栄一の「論語と算盤(そろばん)」、松下幸之助の「社会貢献が使命、その報酬が利益」……。多くの名経営者が掲げる「道徳と経済の両立」の理念を、江戸時代中期、日本で初めて全国に広めた思想家がいた。商人出身の石田梅岩(ばいがん)。彼を開祖とする石門心学を教える心学講舎は、1700年代半ばから幕末までの100年余で45カ国、173カ所に設立され、商人をはじめ町人・農民から武士・大名に至るまで幅広くその教えを学んだ。

 先人たちに持続可能な経営の理念を見る「江戸のSDGs」連載の初回は、「道徳と経済の両立」によって家や社会を末永く継続・発展させていくことを説き、持続可能な経営の先駆けとなった梅岩を取り上げる。後に米国の社会学者から「徳川時代の宗教」と評されるほど普及した石門心学は、現代日本人の生き方にも大きな影響を残している。石田梅岩とはどのような人物だったのか、研究者である大阪学院大学経済学部教授の森田健司氏に聞いた。

「道徳と経済の両立」を説いた梅岩の思想とは、どのようなものだったのでしょうか。

森田健司氏(以下、森田氏):梅岩は1739年に出版した『都鄙問答(とひもんどう)』の中で次のように述べています。

 「商人で道を知らない者は、ただ貪ることだけをして家を滅ぼす。商人の道を知れば、欲心から離れ、仁心で努力するので、道にかなって栄えることができるだろう。これが学問の徳というものである。」

 商人の生きるべき道を説いたのです。十分に勉強し、欲心から離れ、人を思いやる心(仁心)を持つのが商人である、という教えは、一見、厳しい要求に思えます。しかし梅岩は、正しく学ぶことで自分の仕事に正しく向かい合うことができ、それは労働の質を向上させると考えていました。

石田梅岩(1685~1744年)。現・京都府亀岡市の農家の次男として生まれ、8歳から京都の商家へ丁稚(でっち)奉公に出る。1727年に商家を辞し、1729年、45歳で自宅に講席を設け、生涯を講義や施行(せぎょう)にささげた。著書に『都鄙問答』(1739年)、『斉家論』(1744年)(森田健司氏提供)

 当時、経済活動に最も関わっているのが商人でしたので、梅岩の経済論の多くは商人を例に語られています。しかし商人だけでなく、あらゆる職業の人に、同じ姿勢を要求しました。

 梅岩は人間の本性について、徹底的に考え抜いた思想家でもあります。彼は「性」という言葉を使っていますが、本性と言い換えていいでしょう。学問によって様々な雑念を取り払い、本性に至ることは、個を超越し、利己主義を放棄することにつながるはず。自己の利益に心がとらわれている間は、道徳的に稚拙な段階だとみなしました。

 「自らの精神で利己主義を抑え、常に天下、公の福利を願い、その実現につながる行いに励むことが人間の本性である」と考えたのです。すべての人が同じ道徳を持つべきだと梅岩は教えました。

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