日本橋三越への出店時には、とらやの隣で、とらやより広いスペースを用意してほしいという要求を三越にのませています。よくそんな条件が通りましたね。
山本氏:滋賀県内に5店舗を展開していましたから、関西ではそれなりに知名度が出てきていました。大阪や京都も含めて百貨店さんからはいくつもお誘いがありましたが、断っていたんです。「どうせ大都市に出すなら、失敗して恥ずかしい思いをするかもしれないが、その都市で一番のお店に出そう」と父は考えていました。最後のほうで日本橋三越から声がかかったようです。
当時の百貨店は1年を通じて同じものを売っていて、今ほど季節感がなかった。「たねやは、その日しか売らない商品を出すなど、季節感を出します。日本の歴史、伝統、文化に見合った季節感を出していかないと、この先百貨店はやっていけませんよ」と父が大きな構想をぶち上げたことも、破格な条件を受け入れてもらえた一因かもしれません。
名誉会長は先見性をお持ちなだけでなく、プレゼン能力にも長けていらした。
山本氏:京都や大阪に出店して失敗すると、距離が近いので噂がすぐ伝わってきて商売に影響が出てしまう。その点、もし東京で失敗しても、当時は情報の伝達がまだ遅かったですからあまり影響はないだろう、というもくろみもあったようです。幸いにも成功し、会社の売り上げは一気に2、3倍になりました。その後は百貨店さんに次々と出店させていただくことになります。
東京や大阪に出店したことは、自分たちの存在を見つめ直すきっかけにもなったとか。
山本氏:滋賀県内とは全く違う、圧倒的な消費力や異なる文化を見せつけられたことで、逆に「私たちのほうが強い分野もきっとあるはず。それは何か」と考えるようになりました。このことを私はずっと考え続けていて、後のラ コリーナ構想につながっていきます。
「お金は後からついてくる」という基本を見失っていた

2015年に開業したラ コリーナ近江八幡は、JR近江八幡駅からクルマで10分ほどの場所とはいえ、周囲はほぼ田畑と住宅地で、ここに来る目的の人以外は訪れない立地です。敷地の中央に大きな水田があって、その周囲に低層のお店がいくつか並んでいる。商業施設と言えるのかどうか、ちょっと不思議な構造ですが、年々来場客数が増え、19年には年間300万人以上の集客に成功しています。なぜこのような形にしたのでしょうか。
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