西川家初代の仁右衛門が19歳で商売を始めた1566年(永禄9年)を創業の年とする西川は、455年の歴史を持つ老舗中の老舗だ。行商から始め、1587年(天正15年)には近江・八幡町(現:近江八幡市)に店を構え、全国各地へ商売を拡大していった。観光名所にもなっている、同市八幡堀沿いに今も残る西川甚五郎本店は、その隆盛ぶりを感じさせる立派なたたずまいを誇る。
 近江商人を代表する1社として、豊臣から徳川への政権交代、明治維新、関東大震災や何度もの戦争を乗り越え、現代まで続いてきた同社が大切にしてきたこととは何か。営業統括担当の竹内雅彦取締役上席執行役員に聞いた。

西川さんと言えば今は「寝具の西川」ですが、初代は多くの近江商人と同様に、近江の産物の行商から始められたのですね。

竹内雅彦氏(以下、竹内氏):初代仁右衛門は、近江の産物である麻布や蚊帳などを、主に能登(石川県)で販売し、能登の水産物を持ち帰る行商で財を蓄えていきました。1585年(天正13年)に、豊臣秀吉の甥である秀次が近江八幡城を築いた頃、初代は大工組として城下町づくりに関わり、1587年(天正15年)、自らも店を構えました。

 1615年(元和元年)に大坂夏の陣で豊臣家が滅びると、同年、初代は江戸・日本橋に出店し、つまみ店(つまみだな)と名付けました。これが現在の西川・日本橋店のはじまりです。2代目甚五郎は1628年(寛永5年)に家督を継ぎ、主力商品であった蚊帳の縁に紅布を付け、布地を萌黄(もえぎ)色に染めた鮮やかな萌黄蚊帳を創案します。これは近江蚊帳を代表する商品となり、やがて蚊帳市場の大半を占めるほど売れました。

明治初め頃のつまみ店(だな)。日本橋のたもとで江戸初期から現在まで400年以上続いてきた
明治初め頃のつまみ店(だな)。日本橋のたもとで江戸初期から現在まで400年以上続いてきた
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 1737年(元文2年)には、経営不振の弓屋を買い取って弓の販売に進出、京都の生産者と仕入れの独占契約を結んで江戸での販売を独占します。現代のマーケティングにも通じますが、蚊帳や畳表、弓など、強い商品分野に集中して投資し、事業を拡大していったのです。

 明治維新後に弓の需要がなくなると、1887年(明治20年)に布団の販売に乗り出します。

布団販売の歴史は140年弱。長いですが、西川さんの歴史から見れば最近なのですね。

竹内氏:そうですね。その頃まで綿布団というのは高級品で、庶民の多くは「夜着」という、着物に綿を詰めたようなものを自分たちで作り、袖を通して寝ていました。今後生活必需品として普及するであろう布団の将来性にいち早く注目したのです。

 世の中にとって新しい商品に進出することは冒険でもありましたが、夏の主力商品である蚊帳に対して、冬の商品である布団を扱うことは、経営を安定させるためでも大きな意味がありました。最近では1958年(昭和33年)には業界に先駆けて「合繊わたを使用した洋ふとん」を開発するなど、時代の変化を読んで新しい取り組みをしていくことを西川は大切にしてきました。代々の当主も、この「挑戦する精神」の大切さを常々、口にしています。

 また、大正の終わりから昭和の初めにかけての不景気の中では、「百貨店を業とすべきか、専門店として生きるべきか」が真剣に話し合われました。その際、12代西川甚五郎は、「専門店の道を歩む」と明確に決断しました。強みのある商品に経営資源を集中して生き残ってきた経験が、そうさせたのだと思います。

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