戦国時代末期から江戸時代にかけて、近江国(現・滋賀県)から全国各地へ進出し、大きな商売を繰り広げた近江商人。進出した地域に根を下ろして経営を永続させ、現代に残る大企業に成長した近江商人は少なくない。
 「売り手よし 買い手よし 世間よし」の「三方よし」の理念が注目されがちな近江商人だが、当時から先進的な経営手法を数多く取り入れていたことが分かっている。理念と技術を兼ね備え、栄えるべくして栄えたといえるだろう。彼らの経営手法がどのように優れていたのか、50年来の近江商人の研究者である同志社大学名誉教授の末永國紀氏に聞いた。

前回の最後は、全国各地に送られた近江商人たちが、厳しい人材選抜制度を勝ち抜いて支配人や番頭などの要職に昇進していくというお話でした。近江商人の人材教育・評価制度について教えていただけますか。

末永國紀氏(以下:末永氏):いろいろ含めて「在所登り制度」といいます。

 近江商人の店で働く奉公人は、12歳ごろ採用されます。学歴がなく、情報も乏しい時代ですから、身元が分かりやすい地元の近江出身者を採用して、全国の店に送り込みました。まず近江の本宅で簡単な教育を受けさせて、性格や能力を見定めてから店に配属します。店では皆、住み込みで集団生活をする中で、商売の技術を学んでいきます。徒弟制度のように、商売の技術の伝承には適した方法だったでしょう。

 店の多くは近江から遠い地にありますから、簡単には帰郷できません。約5年後、初めて近江に帰ることができます。郷里が「在所」、帰ることが「登り」で在所登りです。今でいえば小学校6年生の年に働き始め、高校2年生で初めて実家に帰る。そのときの旅費や土産代はすべて店の負担で、本人にとっては慰安の旅です。

 ただ、その間に、5年間の働きや人間性を支配人や先輩たちが評価して、文書や口頭で本店に報告します。最も大切な評価基準は、「間に合うか、間に合わないか」、分かりやすく言えば機敏であるかどうかです。例えば、先輩が荷造りをしているとき、そばでぼーっと見ているか、荷を縛ったひもを切るための鎌を用意して待てるか、そういう能力です。

<span class="fontBold">末永 國紀(すえなが・くにとし)</span><br> 1943年福岡県生まれ。同志社大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。京都産業大学経済学部教授、同志社大学経済学部教授を経て、現在、同志社大学名誉教授。財団法人近江商人郷土館館長。著書に『近江商人 現代を生き抜くビジネスの指針』(中公新書)、『近江商人学入門 CSRの源流「三方よし」』(サンライズ出版)、『近江商人と三方よし 現代ビジネスに生きる知恵』(モラロジー研究所)など多数(写真:水野浩志)
末永 國紀(すえなが・くにとし)
1943年福岡県生まれ。同志社大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。京都産業大学経済学部教授、同志社大学経済学部教授を経て、現在、同志社大学名誉教授。財団法人近江商人郷土館館長。著書に『近江商人 現代を生き抜くビジネスの指針』(中公新書)、『近江商人学入門 CSRの源流「三方よし」』(サンライズ出版)、『近江商人と三方よし 現代ビジネスに生きる知恵』(モラロジー研究所)など多数(写真:水野浩志)

 ほかにもいろいろな総合評価をして、合格の人だけが、また店に戻って勤めることができます。戻って1段階出世して手代になり、本格的な商売のやり方を学んで2~3年たったら「中登り」、その2~3年後に「三度登り」と、帰郷と昇進を繰り返します。登りのたびに選抜があって、35歳くらいでようやく毎年近江に帰れるようになって結婚ができます。最終的に支配人や首席番頭、今の会社でいえば役員になれる人は5~6%です。一部、のれん分けで独立する人もいたでしょうが、ほとんどは商売替えを余儀なくされています。終身雇用ではなく、厳しい選抜制度ですね。

 だからといって能力主義かというとそれだけではありません。「実意(誠実な心、親切な心)のない人間を支配人に就けてはならない」と当時の文書に書いてあります。商売の腕はもちろん必要ですけれども、人望や人徳がなければ支配人は任せられないということです。

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