戦国時代末期から江戸時代にかけて、近江国(現・滋賀県)から全国各地へ進出し、大きな商売を繰り広げた近江商人。「売り手よし 買い手よし 世間よし」の「三方よし」の理念を持ち、進出した地域と共存共栄することで商売の永続を図った。出向いた地域に根を下ろし、伊藤忠商事や丸紅など、現代に残る大企業に成長した近江商人は少なくない。
 持続可能な経営の要諦を先人に学ぶ「江戸のSDGs」、今回からは近江商人の経営理念と手腕に学ぶ。なぜ、近江出身の商人が全国各地で成功を収めることができたのか。なぜ独特な経営理念を生み出すことになったのか。50年来の近江商人研究者である同志社大学名誉教授の末永國紀氏に聞いた。

近江商人と言えば「三方よし」の理念が有名です。取引先だけでなく、世間(地域の人々)までも大切にすることによって、その地域で商売が長く続くことを目指す。その結果として、多くの長寿企業を生み出しました。まさに持続的経営のお手本のような姿です。ただ、その「三方よし」が近江商人の代名詞になったのは、比較的最近のことなんだそうですね。

五個荘(現・滋賀県東近江市)の街並み。近江商人は高島、近江八幡、日野など、複数の地域から生まれ、豪邸を残した(写真:PIXTA)
五個荘(現・滋賀県東近江市)の街並み。近江商人は高島、近江八幡、日野など、複数の地域から生まれ、豪邸を残した(写真:PIXTA)

末永國紀氏(以下、末永氏):「三方よし」という言葉を近江商人の経営と結び付けて言うようになったのは、滋賀大学で名誉教授まで務められた小倉栄一郎先生(故人)が最初だと思います。1988年発行のご著書の中で触れられていて、それが90年代に入って、メディアや講演会などを通じて広まりました。

 代名詞のようになったのは、「三方よし」の言葉そのものとは異なりますが、ほぼ同じ考え方や理念を近江商人が持っていたからです。例えば1754年(宝暦4年)に、近江・五個荘(現・滋賀県東近江市)出身の麻布商、中村治兵衛宗岸は、15歳の養嗣子に残した「宗次郎幼主書置」の中で、「知っている人も知らない人も、その国の人々が商品に満足することを優先し」「高利を望まず、『天道のめぐみ次第』と考えて」商売をして、「自分の欲望を抑えるために、神仏への信仰心を持ちなさい」と説いています。ほかにも、さまざまな近江商人の生き方が、「三方よし」の言葉と合致して、代名詞になったのだと思います。

 言葉のみなもととしては、法学博士で、昭和初期にモラロジー(道徳科学)を提唱した廣池千九郎が、近江商人とは関係なく「自己と相手方と第三者すなわち一般社会とのすべての幸福」と述べて、実質的に「三方よし」にもっとも近い表現を使っています。「三方よし」という言葉そのものは、1930年(昭和5年)ごろには、既に一般に流布していました。日本人に伝わってきた理念であることは間違いなく、発祥をどこまで遡れるかは研究を続けているところです。

なぜ「三方よし」のような理念が、近江商人の中に生まれたのでしょうか。

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