これらの成果は、ディートンによる著作『Understanding Consumption』 (Oxford: Clarendon Press, 1990)に集約されている。ただしこの本は、以上の問題を主に理論的に示し、必ずしも途上国に限った説明をしているわけではないことから、幅広く消費の研究者に用いられることになった。
同時にディートンは、途上国家計の消費に関して、以上のような理論モデルがどれほど有効かを実証的に明らかにするための研究にも取りかかった。しかし、利用可能なデータを用いての実証作業はすぐに限界に達した。
途上国の家計については、そもそも各種の財・サービスごとの詳細な消費データは限られている上に、流動性制約や不確実性の問題に対応することができるパネルデータ(同じ家計の消費を複数年度について調査したデータ)が、ほとんど存在しなかったためである。
そこでディートンが着目したのが、1979年に開始された世界銀行のLSMS(生活水準指標調査:Living Standard Measurement Study)プロジェクトだった。このプロジェクトは、生活水準、貧困、不平等問題に関する総括的な家計調査で、国民所得勘定にも対応した国際比較可能なミクロデータが収集され、パネルデータ作成も可能な限り試みられていた。
ディートンは、LSMSプロジェクトのホームページに多くの報告書や論文を寄稿し、いかにして途上国家計の厚生を正確に把握すればよいかについて、現在も頻繁に引用される研究成果を残した。
LSMSの成果もあって、ある程度正確・詳細で標本数も大きいミクロデータが、途上国家計に関しても利用可能になってきた。そしてこのようなデータを用いた厚生分析の標準化という意味で、画期的なディートンの著作が1997年、世界銀行から刊行された。『The Analysis of Household Surveys: A Microeconometric Approach to Development Policy』(Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1997)である。
本書ではまず、家計調査の設計とサンプリングについて詳しく解説した上で、家計レベルの厚生や貧困の分布、栄養と子どもの健康と家計内資源配分、価格や税制変更のインパクト、そして貯蓄と消費平滑化という4つのテーマに関する分析手法を示している。
本書は、すべての解説が統計学とミクロ経済学の理論に基づいていることと、途上国のデータを用いてどのように家計データを分析し、有意義な政策含意を出すことができるかに関して統計分析ソフトウエアSTATAのプログラム例とともに丁寧に示していることの2つに特徴がある。同書により、途上国家計の貧困分析における、いわば「ディートン・スタンダード」が確立された。
健康状態の長期変化、経済発展と幸福度に関する探究
その後ディートンの関心は、長期的な生活水準の変化という経済発展の大きな問題に移り、生活水準の指標も、消費支出から健康面や主観的幸福度などに広げられた。現在もなお、驚くべきペースで研究論文を発表し続けている。
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