もちろんクリステンセンの指摘した、組織内の摩擦や経営陣の心理的バイアスといった要素も真理の一端だろうし、不確実性や学習効果、そして耐久消費財にまつわるその他の理論も、私の分析では考慮されていない。また、実証結果はあくまで1980~90年代におけるHDD産業についてのものだから、他の時代の他の産業では、「共喰い」効果、「抜け駆け」効果、そして新旧企業間の研究開発「能力格差」という3種の力は、それぞれ異なる大きさで作用しているだろう。それらの力関係次第では、既存企業が勝ち続ける産業も多いはずだ。

 それでもなお、「イノベーターのジレンマ」が合理的なメカニズムでも発生し得るという事実は、頭の片隅に留めておく価値がある。同じ現象は私たち自身の業界や組織、そして個人の仕事や私生活レベルでも充分に起こりうるからだ。

創造的破壊が実現する前提条件とは

 さて、イノベーションを語った3人目の著名学者とは、もちろんシュンペーターのことだ。彼は19世紀後半から20世紀前半にかけての世界経済の歴史を、2点に要約した。第1に、先進各国の経済は成長しており、人口1人当たりの所得や生活水準、それに生産も上昇し続けている。第2に、多くの産業で寡占化が進行し「大企業の時代」が訪れている。

 ここでシュンペーターは考え込んでしまった。この2点は理論的に矛盾している。独占力を強めた大企業はあえて生産量を減らし、価格を吊り上げることで利益の最大化を図るはずだからだ。生産の拡大と大企業による寡占化が同時に進行するのはおかしい。

 この矛盾を解消するために彼が持ち出したのが、「創造的破壊」という有名なコンセプトだ。

 旧来の産業内では既存企業による寡占化が進行するかもしれないが、起業家の手により新たな商品、新たな産業が生まれ、古い技術を次々と葬り去っていく。だとすれば、特定の産業がいかに寡占化したところで、遅かれ早かれ衰退産業になってしまうのだから、長い目で見れば競争的な市場が維持されるだろう。だからこそ経済は成長を続けるし、生活水準も上昇していくのだ。

 シュンペーターが「創造的破壊」の名のもとに語ったのは、そのような残酷かつ楽観的な物語だった。

 このダイナミックなストーリーのファンは今も多く、マクロ経済の理論家からマネジメントの実証研究者まで、崇拝者の毛色も様々である。シュンペーターはまた、近代経済学を数学的に一気に洗練させたMITのサミュエルソンの指導教授でもあり、その意味で現代経済学の祖父と言ってもよい。伝記も出版されている。かように半ば神格化されてしまったシュンペーター。とはいえ彼にも見落としがあった。

 「創造的破壊」のシナリオには1つ必須の前提条件があるのだが、それを指摘し忘れていたのだ。もし既存の寡占企業が、起業家に先駆けて新技術を占有してしまった場合、もはや彼らの市場支配を覆す者はいなくなってしまう。だから「創造的破壊」が現実になるための条件とは「既存企業がグズグズしている間に新参企業がイノベーションを起こしてしまう」事である。

 よってシュンペーターの「創造的破壊」理論は、クリステンセンの言う「イノベーターのジレンマ」を前提としていたことになる。そしてその「ジレンマ」現象を経済学的に説明するには、アローの「置換効果」が必要だったわけだ。

創造的破壊と、創造的「自己」破壊

 経済学者は気長だ。『資本主義・社会主義・民主主義』の刊行から70年余り。経済学の実証分析ツールは2015年を迎える今、ようやくシュンペーターの物語に追いつきつつある。私の論文は、3人の先人による昔の研究成果を、現代風の鍋で一緒に煮込んだ代物になった。参考文献やテクニカルな詳細は、私設ウェブサイトで公表中の最新版原稿を参照していただきたいが、その結論をあえて大風呂敷に、シュンペーター風に言い直してみることで、本稿を結びたい。

 創造的破壊のプロセスを生き延びるには、創造的「自己」破壊が必要だ。

 経済学自体もそのように変化してきたし、破壊のたびに新たな知見を獲得してきた。ケインズが経済学者の気長さを揶揄(やゆ)して言ったように「長期的には、我々はみな死んでいる」のだとしても、それで一向に構わないではないか。

 謝辞:本稿の執筆に当たっては伊藤大、上武康亮、内野三菜子、奥村真人、小橋文子、橋詰瑛愛、山本裕一の各氏(敬称略)から有益なコメントを頂いた。また「パラシュート実験」の例えは、カナダのトロント大学ロットマン経営大学院のマシュー・ミッチェルが、米ジョージア工科大学における学会で私の論文を討論する際に例示したものだ。この場を借りて感謝したい。

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この記事はシリーズ「新しい経済の教科書 Lesson6 マネジメントの経済学」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。