グループAの被験者には正常に機能するパラシュートを、グループBの被験者には決して開くことのない偽物のパラシュートをそれぞれ用意し、両グループを全く同じ条件で(例えば、気温20度、湿度60度、風速ゼロメートルの日の正午に、富士山の上空、高度1万メートルから)突き落とすことになる。これが対照実験の基本コンセプトだ。

 パラシュートのAとBは無作為抽出によって(つまりランダムに)配布されるべきだ。被験者自身にパラシュートのタイプを選ばせてはならない。また、実験を途中で辞退することも許してはならない。サンプルにバイアスが発生するからだ。

 経済学者が理想とする実験は、以上のようなものだ。だがこんな実験を実施するのは、ナチス・ドイツか昔の中南米の軍事政権でもなければ不可能だし、監修したエコノミストはいずれ学者生命を絶たれるだろう。幸運なことに、そんなリスクを冒さずとも、我々にはもっとスマートな方法がある。

理論と実証の融合アプローチ

 重力や空気抵抗といったスカイダイビングに重要な力学的諸要素については、物理法則が既に発見されている。あらかじめパラシュートの材質や形状、それにスカイダイバー各人の身長や体重を測定しておき、重力と空気抵抗を織り込んだ力学モデルにインプットすれば、「スカイダイビングにおけるパラシュートの効果」をシミュレートするのは簡単だ。いわゆる「シミュレーション実験」だ。

 実は、経済学においても同様のアプローチが可能なのである。過去30年余りの「産業組織論」分野における研究成果によって、例えば需要や供給について、さらには戦略的な投資判断(新規参入やイノベーション)について、厳密な実証分析に耐えるだけの理論法則や統計学的ツールが蓄積されてきた。そして後述するが、私の専門もそうした研究手法である。

 さて、そのようなアプローチを踏まえた上で、私の経験も踏まえつつ、理論に根ざした実証研究が困難な第3の理由について説明しよう。

 「複数の理論を織り込んだ実証用モデル」とは、要するに数式の集まりのことだ。それらの数式が表現するのは需要と供給、つまり各年の需要関数と生産関数である。それから「寡占企業間の動学ゲーム」も、やはり数式で描写する必要がある。そこでは個別企業が、ライバル企業の動向や未来の投資収益を予測しながら、戦略的にイノベーションや市場への新規参入・退出を行っていく。というわけで中身はドラマチックなのだが、表現方法はアルファベットとギリシャ文字と数学記号というドライなものだ。

 このようなモデルのパラメーター(具体的には新旧製品間の「需要の弾力性」、それらを生産するための「限界費用」、それに新規参入や新技術導入にかかる「固定・埋没費用」)を統計的にあぶり出すためには、かなりのデータが必要になる。

 需要サイドを測るためには価格と販売台数、供給サイドを測るためには長期間にわたる企業の盛衰や新技術の導入状況を知る必要がある。さらに、肝心の「イノベーターのジレンマ」的な現象が実際に発生している業界でなければ、意味のある分析はできない。強力なツールを使うには、それ相応の使用条件を満たす必要があるということだ。

合理的ジレンマの計量

 ロサンゼルス留学中の2009年の夏に私が構想した博士論文は、そのようなものだったので、まずは手掛かりを求めてクリステンセンの著書を熟読すると、所々にHDD業界に関する数値データらしきものが散見された。彼の研究自体は、経営者へのインタビューと業界史記述という定性的なアプローチに依拠しているものの、そこには統計処理に耐え得るだけの豊かな定量的データの気配が、確かに感じられたのである。

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