あなたの組織にも見当たらないだろうか、何かと威張っている花形部門と、肩身の狭い弱小部門が。前者は稼ぎ頭で歴代社長を輩出したりする一方、後者はお荷物扱いされ、社内での発言権も皆無だろう。社内的な「主力製品」が世間的にも主流であるうちは、別にそれでも構わない。大口顧客の要望が全社的方針に反映されやすいという点では、むしろ望ましい経営とさえ言える。

 ところが新種の製品が世の中に登場し、新たなタイプの顧客が徐々に増えてくるような局面では、このような既存「勝ち組」企業の対応は後手に回りがちだ。経営陣を占めるのは旧来の主力部門出身者だし、新規ビジネスチームには、予算や人員を獲得するだけの政治力がない。過去の成功体験に引きずられがちな経営陣からすれば、新技術・新商品の将来性を公平に評価したり、新たなのクライアントの台頭を正確に予想したりするのは至難の業だ。かくして旧世代の勝者は、まさに勝者であったがゆえに、新時代への対応スピードが遅くなる。既存企業におけるこのような組織的、心理的なバイアスが、クリステンセンの仮説の主眼である。

 「イノベーターのジレンマ(Innovator's Dilemma)」があまりに有名になってしまったため、クリステンセンには今日に至るまで多くの批判的なコメントが寄せられ、彼のアイデアに基づく投資ファンドの失敗などゴシップさえ提供するありさまだ。しかしそれでも同書が売れ続けるのは、組織内の政治と心理に注目した彼のストーリーが、同じように組織で働く多くの人々の想像力に訴えたからなのかもしれない。

安直に「心理的性向」や「悪者」のせいにしないために

 ……と、ここまでの論旨に同意してくれた読者には申し訳ないのだが、経済学者は(私を含めて)この手のストーリーを嫌う。なぜなら以上の説明は、煎じつめれば「既存企業は失敗した、その理由は経営陣がバカだったからだ」という議論になってしまうからだ。

 もちろん上記の組織論や心理的バイアスについては、私自身のごく短いサラリーマン体験に照らしてもうなづける点が多いし、経済学者の全員が「人間はみな合理的だ」と信じているわけでもない。ただ「失敗者は、失敗につながるようなバイアスを抱えていたからこそ、失敗したのだ」というロジックは、ともすればトートロジー、あるいは「後付けの経営学」に陥りかねない。そこに漂うある種の思考停止の気配が、経済学者の嗜好に合わないのだ。

 我々が経済分析を行う際、消費者や企業の「合理的な選択」を仮定する事が多いのには、確かに思想的なバイアスもある。「人々はみな、与えられた環境でそれなりにベストを尽くしているはずだ」とか、「人々を永久にだまし続けることはできないはずだ」といった経済学者特有の楽観的な世界観がそれだ。

 だがそれだけではない。世の中で起こる不思議な現象について、あまり安直に何らかの「心理的性向」や「悪者」のせいにしたりせず、まずは座ってじっくり考えてみたい、というのが多くの経済学者に共通する感性である。

アローの置換効果、あるいは「共食い」現象

 それでは経済学者は、「イノベーターのジレンマ」をどのようにして「合理的に」説明するのか。

 このテーマを扱った有名な3人の研究者の2人目は、米スタンフォード大学経済学部のケネス・アロー教授(2017年2月死去)で、彼が1962年に発表した論文は、既存企業と新参企業のインセンティブ、ひいては競争とイノベーションに関する古典的な作品となっている。

 アローの論理は極めてシンプルだ。既存企業が旧製品(旧来の技術で生産した製品)で稼いでいる場合、新技術を導入するインセンティブは小さい。なぜなら新技術(より高品質な新製品、もしくは旧製品をより安価に製造するためのプロセス技術)を使ったとしても、利益は100億円から101億円へと、たかだか1億円増えるだけだからだ(数値はただの例だから何でも構わない)。

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