納税は口座振替の方が楽!(写真:PIXTA)
納税は口座振替の方が楽!(写真:PIXTA)

人間行動のバイアスとナッジ

 ダイエット、運動、資産形成、禁煙、部屋の片づけなど、日ごろからやりたいと思っているのになかなか着手できないことはないだろうか。自らが合理的だと考える行動であっても、人間は、実際にはなかなかそれができないことを、行動経済学は明らかにしてきた。

 そうした人間行動に関するさまざまな「バイアス」を前提にして、人々により良い選択を促していくのが「ナッジ(nudge)」であり、米シカゴ大学のリチャード・セイラー教授と米ハーバード大学のキャス・サンスティーン教授が2008年に出版した著書の中で提唱した考え方である。ナッジとは本来、「肘でつつく」という意味だが、転じて、人間の性質に配慮しながらより良い選択を促すという意味で使われている。

 政策の場で活用されるナッジは、個人の意思決定の自由を尊重しながら、少ない財政コストでより良い選択を促すツールである。補助金、税制、規制・ルールといった伝統的な政策手段と補完的な第四の政策手段として世界的にも認知されるようになり、急速に実用化が進展している。そこで本稿では、国内外におけるナッジの社会実装の「いま」を紹介したい。

2年で目標を実現した英国のナッジチーム

 ナッジの社会実装を進めるために、多くの国で通称「ナッジユニット」と呼ばれる組織が誕生している。その代表的な組織が英国の行動インサイトチーム(Behavioural Insights Team:BIT)である。

 BITは、2010年の保守党・自由民主党連立政権発足を受け、セイラー教授の支援も得ながら、内閣府の一部局として設立された。設立当初から現在までBITを率いているのが、ブレア政権の首相戦略ユニットで主席分析官を務めた心理学者のデビッド・ハルパーン氏である。彼はBITの設立にあたって、①行動科学に基づいて少なくとも主要な2つの政策分野を転換する、②省庁全体において行動科学的アプローチに対する理解を広める、③BITに要するコストの少なくとも10倍以上のリターンをもたらす、という3つの目標を掲げた。

 設立当初のスタッフは7人、予算も50万ポンドという非常に小規模な組織だったが、もしもこれらの目標が達成されなければ、BITは2年間で廃止されることになっていた。

 BITが初期に取り組んだ事例の一つが、臓器移植ドナーの登録者を増やすことである。英国では、自動車の所有者が自動車税を毎年支払う必要があり、ウェブサイトで自動車税の支払い手続きを済ませた後に、臓器移植ドナーへの参加登録を促すメッセージを示すことによって、登録者を増やせるかどうかを検証した。BITは全部で8つのナッジメッセージの効果を検証しているが、そのうちの3つを示したものが図表1である。

●図表1 臓器移植ドナーへの参加登録を促すメッセージ
<span class="fontSizeL">●図表1 臓器移植ドナーへの参加登録を促すメッセージ</span>
(出所)Behavioural Insights Team(2013)”Applying Behavioural Insights to Organ Donation”より作成
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 1番目は、支払い手続き終了後に表示する通常のメッセージであり、「臓器ドナーに登録してください」とだけ記載されている。2番目はドナー不足がもたらす損失を強調したメッセージであり、1番目のメッセージに加えて、「臓器ドナーが不足しているために毎日3人の方が亡くなっている」と書かれている。

 3番目のメッセージは互恵性を用いたメッセージであり、「必要となったらあなたは臓器提供を受けますか?もしそうなら他の人を助けてください」と記載されている。2番目および3番目は、ナッジにおいてしばしば効果を発揮する、「損失回避性」や「互恵性」を利用したメッセージである。

 各メッセージの臓器移植登録率を示したものが図表 2である。通常メッセージの場合の登録率は2.3%だが、「毎日3人の方が亡くなっている」というメッセージの場合は3.1%、「あなたが臓器移植を必要とする場合にそれを受けるのなら、他の人を助けてください」というメッセージの場合は3.2%に、それぞれ上昇している。1%程度の上昇ではあるが、英国で自動車税を支払っている人は毎年1000万人以上いるため、通常メッセージと比較して毎年10万人程度が新たに臓器ドナーになることを意味する。

●図表2 臓器移植登録率の比較
<span class="fontSizeL">●図表2 臓器移植登録率の比較</span>
(出所)Behavioural Insights Team(2013)”Applying Behavioural Insights to Organ Donation”およびHalpern, David(2015)Inside the Nudge Unit WH Allenより作成
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