グローバル化は必要か?

(守屋、以下守):今回のテーマはグローバル化ですが、そもそもグローバル化の必要があるかどうかをお聞きしたいのです。東大の船曳建夫名誉教授の議論をお借りすると(*2)、明治時代も3つの路線がありました。

 まずは福沢諭吉の「大日本」路線。本でいえば『文明論之概略』がそうで、日本は文明化を進めて、文明化で先んじている欧米の国に追い付け追い越せで、伍(ご)して戦っていかなければいけないと言っています。

 一方、渋沢栄一と新渡戸稲造は「国際日本」路線です。道徳を持って信用され、商業で栄える国をつくりましょうと。本としては『論語と算盤』や『武士道』、いわゆる倫理や道徳にまつわる話が出てくるのがこの特徴です。

 最後は夏目漱石の「小日本」路線です。身の丈に合った自分なりの基準でいきましょうと。変に背伸びして、西洋の価値観に合わせようとするからみんな不幸せになると。本では『私の個人主義』です。全員お札関係者というのがミソですが、私は夏目漱石の路線が好きだったりします。

(三谷、以下み):別に「名前のない猫」でいいと。

(守):そうです、あくせく働くより、日なたで昼寝を愛したいなあと(笑)

海外展開のモチベーションが高いのは小国

(み):まず言葉として「グローバル化」と「海外展開」を分けたいと思います。「海外展開」とは自国市場だけでなく海外市場に展開すること、「グローバル化」とは世界の主要市場(欧米亜)すべてに展開すること、とします。グローブ(globe)って地球のことですからね。

 さて、日本において全部の産業や企業が海外に出て成長し続けるべきとは思いません。特に、世界全体に展開する(=グローバル化)のは、どこの企業にとっても大変なことですし、自国市場もしくは近隣市場への展開で済むならそれでいいのです。でも、「中で閉じこもるのがいいのか、どこまで広がるのがいいのか」という議論ができるだけ、日本は幸せな国だとも言えます。

(守):その幸せとはどういう意味なのでしょうか。

(み):いま世界的に広がった企業を見ると、スイスやオランダといった小国から出ているものがとても多いのです。母国市場が小さな、いわゆる小国には、中で閉じこもるべきかなどの議論の余地はありません。放っておけば成長意欲にあふれた米国や、もしくは他の国、いわゆる海外企業に勝てなくて、市場を取られて終わり。国内市場の中で上位が誰かを調べていけばわかりますけれども、全部海外企業、外資系企業となってしまうわけです。自動車産業が典型です。純粋な国産車を持っているなんて幸せな国は、ほとんど母国市場が大きな大国だけです。

 そういう意味では、小国は放っておけば生きていけません。だから海外展開の動機でいえば、小さな国、外国に負けたら死んでしまうような国こそが必死で頑張るわけです。明治初期の日本には、実質的にはそこそこ人口はいたけれども、技術や産業レベルでいうとかなり後れていたので、海外に出ていかないといけないという意欲がすごくあった。世界の中で自分たちは小国だと強烈に意識させられたのではないですかね。

*2:『「日本人論」再考』船曳建夫

 小国は内需よりも外需のほうが圧倒的に大きい中で、どうしようもなくやって、幾つかは成功し、多くは失敗したのだと思います。国別でいえば、小さな国だったけれども、どうしても勝ちたくて、資力をかき集めて頑張ったのがオランダです。そのために世界で初めての株式会社VOCをつくってお金を集めました。もっと小国で、技術を武器に世界に広がったがスイスです。ネスレは世界一の食品企業だし、ロシュやノバルティスなどの製薬メーカーも、いまや世界1位と3位。母国市場だけではどうしようもない中で海外展開を図っていく強烈な動機があり、そして成功しました。

 地域別に言えば、明治時代、海外からの需要を呼び込もうとしたのが京都です。なぜかというと、強烈な内需、皇室需要が一気になくなってしまったからです。1868年、江戸が東京となり、元号が明治となり、天皇が東京に移りました。京都は皇室需要で成り立っていたのに、公家も職人も全部東京に行ってしまった。京都の人口は35万人から20万人余りに激減です。どうしようかとみんなで考えて、出した答えが「海外から観光客を呼ぶこと」でした。新島襄(じょう)らの活躍で、その頃には街角ごとに通訳ができる案内役を置くことまでしたらしいです。

(写真=吉成大輔)
(写真=吉成大輔)

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