この対談企画では、戦略コンサルタントとして活躍し『経営戦略全史』の著者として知られる三谷宏治氏、そして孫子をはじめ渋沢栄一など歴史上の人物や古典の知恵を現代に活かす研究家の守屋淳氏が、縦横無尽に世界の歴史や企業経営に斬り込み、現代日本の課題解決につながるヒントを探り、語り合います。
前2回は、「意思決定力」をテーマに、薩摩藩の郷中教育から日本企業の課題まで幅広く語り合いました。今回は、日本企業における「人材育成」をテーマに、問題点から成功事例までを考察します。次回は、論理的・自発的に思考できる人材をどう生み出すのか、実際の研修の事例も踏まえて論じていきます。
ORIENT(オリエント):原義は「ローマから東の方向」。時代によりそれはメソポタミアやエジプト、トルコなど近東、東ヨーロッパ、東南アジアのことをさした。転じて「方向付ける」「重視する」「新しい状況に合わせる」の意味に。

子どもの頃、勉強なんて大嫌いだった。世間体もあって15歳から漢書を読み始めたら『論語』や『孟子』は随分と面白かった。19歳で長崎遊学、その後大坂の適塾(*1)で学び、22歳で塾頭にまでなった。そこで極めたオランダ語が横浜でまったく通じずショックを受け、自力で英語を勉強した。25歳で咸臨丸に乗り込み渡米。これで得た英語力を武器に渡欧も果たし、幕府のお金で本も買い込んだ。しかし明治維新後、新政府の誘いは断り在野での教育の道を選んだ。慶應義塾をつくり人材育成に励み、文部卿だった木戸孝允に助言もした。しかし結局、明治政府による学校制度は、画一化・中央集権化・官立化に向かってしまった。
諭吉は思った(*2)。「わが国の教育の仕組みは間違っている」「もともと『孟子』にある教育(*3)は、生徒に副(そ)い立つものだった。それが今は上から下へ教え込むものになっている」「学校の目的は人にものを教えることではない。ただその能力の発育を促すことなのだ!」
ドイツの哲学者カント(*4)は「人間は教育されなければならない唯一の生きものである」「人間は教育によってのみ人間になることができる」とまで言い切った。
『西洋事情』や『学問のすゝめ』(*5)で「独立した個人」を訴え続けた福沢諭吉は、強烈な危機感を抱いていた。「このままではマズい。国は強くなるだろうが人は国家に依存するばかりになる! ああ、educationを『発育』って訳しとけばよかったかなあ……」
*2 福沢諭吉『文明教育論』より意訳。
*3 漢語としての「教育」は、『孟子』にある「得天下英才、而教育之、三楽也」(天下の優れた人物を弟子にして、これを教育するのは、君子の第3の楽しみである)とあるのが初めであるとされる。
*4 1724~1804。ケーニヒスベルク大学での教育学講義のなかで語った言葉。
*5 最終的に340万部が出版された。当時の日本の人口は3000万人であり、全国民の9人に1人が買ったことになる。
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