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秦も明治維新も西の辺境から始まった

(み):そう言えば中国を統一した秦も、最初は西の辺境国でしたね。

(守):秦という国がどうやって生まれたかといいますと、秦王朝の前は周という王朝でした。最初は長安の辺りに都があって西周と呼ばれていました。内部の混乱や異民族の侵入によって、今の洛陽辺りまで数百キロ逃げることになってしまいました。

 王たちの逃避行(東遷)にあたって、誰も警護をしてくれる者がいません。「では俺たちが警護をしよう」と申し出たのが、当時「蛮族」と見なされていた秦の人々でした。東遷は成功し、その功績が認められて秦は諸侯国の仲間入りを果たしました。つまり中国の春秋戦国時代というのは、混乱の中、周王の警護の役割を担い、中国という企業の「正社員(ヒラ)」になれた秦が、そのまま成り上がってオーナー社長になっていく過程なのです。

 だけれども、やっぱり西の果ての国だったので、文化的にも遅れ、中央からは非常にバカにされていました。秦はだからこそ、積極的に中央からの人材、つまり優秀だけれども中央では使ってもらえなかった人々を受け入れていくのです。これはアメリカの成り立ちと非常に似ています。秦の政治家 商鞅(しょうおう)も、もともとは趙(ちょう)という国の優秀な政治家でした。しかし重用されず国を出て、秦に移って改革を成功させました。結局その改革が中国最大のイノベーションとも言える「皇帝制度」の基になったのです。

(み):明治維新にも似た構図がありますね。

(守):明治維新を起こしたのも薩摩・長州の人たちで、江戸や京都からするとある種の辺境の出身者たちでした。だからおっしゃるとおり、中央の価値観に染まっていない者が新しいものをもたらすというのは、その通りなのでしょうね。あと活躍したのが土佐と肥前くらい。勝海舟とかはいましたが、「中央はどうした?」という感じですよね。

(み):やっぱり中央は便利だし、体制側からなかなか抜けられない。

(守):そうそう渋沢栄一も北関東です。深谷市出身(*4)なのです。

(み):あ、深谷を辺境と言いましたね。中山道、江戸の日本橋から数えて9番目の宿場町だったというのに(笑)

*4 渋沢栄一の出身地は、正確にいえば武蔵国榛沢郡血洗島村。1973年に合併で深谷市の一部になった。

金融機能の重要性さ

(守):イノベーションの出る「場所」が辺境(やインターネット)としましょう。そこでさらに必要な要素はなんでしょうか。

(み):それは、シュンペーターが述べた「金融機能の重要性」です。しかし京都大学山中伸弥教授らによるiPS細胞では日米欧の「金融機能」の差が、如実に表れました。日本では京大を中心とした大学研究機関に対し政府が「年100億円程度を10年支出」で話題になりました。巨額だと。でも米国ではカリフォルニア州だけで年300億円をiPS細胞研究に支出しています。東海岸のマサチューセッツ州も年120億円です。さらに民間の関連投資では日本が年300億円から800億円で、案件1件当たりは5000万円ほどです。しかし米国では1件当たり40億~70億円。iPS細胞関連のファンドはカリフォルニア州だけでも数千億円の規模を誇ります。桁が2桁違うのです。さすがにこれでは勝負になりません。これだけ「金余り」が叫ばれているのに、リスクマネーを担うファンドやベンチャーキャピタルなど金融機能は、日本ではほとんど育っていないのです。

 歴史的にリスクに挑んできたのはイギリスですが、そこからさらにリスクテイカーの人たちがアメリカに渡り、さらにそれに磨きをかけていったという感じでしょうか。リスク(とリターン)を求めた最果ての地が米西海岸のカリフォルニアなのです(笑)。だからAppleもAmazonもMicrosoftも、みんな西海岸で生まれています。

(守):いまさら日本人に「リスクを好むように変われ」と言っても、なかなか難しいでしょうね。

(み):でも1人だけ、孫正義さんがいますよ。

(守):そうでした。とんでもないリスクテイカーがいましたね。でもできれば孫さんがあと3~4人いれば……。

(み):確かに。でも同時に、少数で良いのかもしれません。スタートアップの数よりベンチャーキャピタルの数のほうがずっと少ないですよね。2001年のITバブル崩壊のとき、Amazonの株価が過去最高値の70分の1以下の1.5ドル51セントまで落ちた(*5)ときに、それを支えたのは老舗ベンチャーキャピタルのクライナー・パーキンスでした。そういう少数のキャピタリストたちとそれを信じる投資家たちがいれば、日本も何とかなるかもしれません。別に1万人は要らない、多分優秀なベンチャーキャピタリストが数十人いれば済むのです。でもそういう人たちは、孫さんじゃないけど育てられない。周りができることは、そういう資質ある者を邪魔しないことだけなのに、日本は邪魔が多すぎる。その才能は埋もれるか海外に逃げるかになってしまう。これは連載第1回の「爆発的成長・前編」における「簡素化・標準化」につながる話ですね。

*5 1997年5月に上場し、2000年12月には113ドルをつけていた。