<span class="fontBold">三谷宏治氏(左)</span><br> 1964年、大阪府生まれ、福井育ち。<br>KIT(金沢工業大学)虎ノ門大学院教授。東京大学理学部物理学科卒業後、ボストン コンサルティング グループ(BCG)、アクセンチュアで19年半、経営コンサルタントとして活躍。1992年INSEADでMBAを修了。2006年から教育の現場で活躍する。『経営戦略全史』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)『戦略読書〔増補版〕』(日経ビジネス人文庫)ほか著書多数。 <br><br> <span class="fontBold">守屋淳氏(右)</span><br>  1965年、東京都生まれ。作家、中国古典研究家。早稲田大学第一文学部卒業。大手書店勤務を経て、中国古典『孫子』『論語』『三国志』などの知恵を現代にどう活かすかをテーマとする執筆や企業での研修、講演を行う。主な著書に『最高の戦略教科書 孫子』(日本経済新聞出版)、『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書)など。<br>(写真=吉成大輔)
三谷宏治氏(左)
1964年、大阪府生まれ、福井育ち。
KIT(金沢工業大学)虎ノ門大学院教授。東京大学理学部物理学科卒業後、ボストン コンサルティング グループ(BCG)、アクセンチュアで19年半、経営コンサルタントとして活躍。1992年INSEADでMBAを修了。2006年から教育の現場で活躍する。『経営戦略全史』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)『戦略読書〔増補版〕』(日経ビジネス人文庫)ほか著書多数。

守屋淳氏(右)
1965年、東京都生まれ。作家、中国古典研究家。早稲田大学第一文学部卒業。大手書店勤務を経て、中国古典『孫子』『論語』『三国志』などの知恵を現代にどう活かすかをテーマとする執筆や企業での研修、講演を行う。主な著書に『最高の戦略教科書 孫子』(日本経済新聞出版)、『現代語訳 論語と算盤』(ちくま新書)など。
(写真=吉成大輔)

 戦略コンサルタントとして活躍し『経営戦略全史』の著者として知られる三谷宏治氏、そして孫子をはじめ渋沢栄一など歴史上の人物や古典の知恵を現代に活かす研究家の守屋淳氏が、縦横無尽に世界の歴史や企業経営に斬り込み、現代日本の課題解決につながるヒントを探り、語り合います。

ORIENT(オリエント):原義は「ローマから東の方向」。時代によりそれはメソポタミアやエジプト、トルコなど近東、東ヨーロッパ、東南アジアのことを差した。転じて「方向付ける」「重視する」「新しい状況に合わせる」の意味に。

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第1回「爆発的成長」前編

プロローグ:秦王 政の憂鬱

秦の始皇帝を描いたとされる人物画(写真=ユニフォトプレス)
秦の始皇帝を描いたとされる人物画(写真=ユニフォトプレス)

 紀元前770年、古代中国・周王朝が内乱状態となった。必死に東に逃れる周王を守ったのが、西の辺境の小勢力「秦」だった。彼らは蛮族扱いされながらも、ここでの功績で諸侯の列に加わり、以後、国力を高め勢力を拡大していく。紀元前238年に政が秦王として実権を握ってからは王翦(おうせん、*1)などの活躍もあり、たった17年で韓・趙・魏、そして楚・燕・斉を滅ぼし、中華の統一を果たした。

 政は考えていた。「秦をこれまで救ってきたのは常に外部の人材だった」「百里 奚(ひゃくり けい)、商 鞅(しょう おう)、范 雎(はん しょ)、みんなそうだ」「西域の野蛮人と蔑まれてきた我々だからこそ自国中心主義に陥ることなく、優れた人材と文化を外部に求め、強くなってきた」「信義と寛容こそが秦の基盤だった」「しかし、これからもそれでいいのか」「治めるべき国土・人民はどんどん拡がっている」「この成長をどう支えれば良いのだろう」「今は言葉も貨幣も量りも物差しも、文化も習慣もみんなバラバラだ」「これを一体どうするべきなのか……」

 ときは紀元前221年。遠く西ではローマがようやくイタリア半島を支配し、カルタゴのハンニバルと戦っていた頃。政はこれからの版図に思いを巡らせつつ、憂鬱に沈んでいた。「寛容か規律か、信義か法治か。実に悩ましい」「しかし私は、新しい道を始めなくてはならない」

 皇帝制度を打ち立て、数々の改革を断行した政を、後世の人々は始皇帝と呼ぶこととなる。

*1 趙・燕・楚を制圧したほか、南方の百越も征服した無敵の将軍。生没年不詳。キングダムで活躍する王騎と同一人物とする説もある。

企業レベルでの爆発的成長

(み):いつか来ると思っていたこの「三谷・守屋対談」、ついに始まってしまいました(笑)。その最初のテーマとして「爆発的成長」を選びました。わが尊敬する中国古典研究家の守屋淳さん、これよろしくお付き合いください。

(守):浅学菲才の身ながら、全身全霊頑張りマス。準備も万端、のはず。

数多の著書を持参、さらに完璧なレジュメも用意して対談に臨んだ2人。でも話しはすぐ楽しい横道に……。
数多の著書を持参、さらに完璧なレジュメも用意して対談に臨んだ2人。でも話しはすぐ楽しい横道に……。

(み):われわれが生きる21世紀は、急成長の時代です。それまで10年以上足踏みをしていた世界経済は2002年のGDP総額34兆ドルから、たった9年で倍の72兆ドルになりました。BRICKS(*2)を初めとした新興国の爆発的成長があったからです。その中で日本は低成長が続き、GDP規模は世界3位からドイツにも抜かれようともしています。

(守):日本の「労働生産性(時間当たり)」はOECD36ヶ国中21位で、アメリカやドイツの6割程度、1人当たりGDPでは韓国にも追いつかれています。これらは一体なぜなのでしょうか。

(み):中国、インドを含む新興国はもちろん、米独や北欧諸国、韓国など、いずれにも爆発的に成長した企業や産業があります。IT業界そのものがそうですが、アメリカのFAANGや中国のアリババ、テンセント、バイドゥ。製造業の中心である自動車産業でもテスラやボッシュ。世界で稼いだ富が本国に流れこみます。でも日本にはそれがありません。どの産業においてもアメリカや、中国など新興国で顕著な「爆発的成長」を実現できていないのです。

 この爆発的成長の本質を考えるために、過去を見つめてみましょう。まずは私が知る爆発的な企業成長の例、A&P(*3)のことをお話しします。それは最初の巨大単一市場(マスマーケット)アメリカで始まりました。

*2 Brazil、Russia、India、China、South Africaの5ヶ国の頭文字。2001年にゴールドマン・サックス証券のエコノミスト、ジム・オニールが提唱した。
*3 正式名称は「The Great Atlantic & Pacific Tea Company」。1859年創業、1915~65年の50年間、米国最大の小売企業だった。2015年経営破綻。

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