この対談企画では、戦略コンサルタントとして活躍し『経営戦略全史』の著者として知られる三谷宏治氏、そして『孫子』や『論語』、渋沢栄一など中国古典や歴史上の人物の知恵を現代に活かす研究家の守屋淳氏が、縦横無尽に世界の歴史や企業経営に斬り込み、現代日本の課題解決につながるヒントを探り、語り合います。

 前回前々回は組織のあり方をテーマに、アマゾンの事例に加え、ティール組織を実践するオランダの非営利団体、社内情報をオープン化し全社員によるデータ経営を実践するワークマンから伝統的な日本企業まで、幅広い事例について語りました。

 今回は、日露戦争に勝利した旧陸軍が、なぜ第2次世界大戦では誤った意思決定が続いたのか、また一時は全盛を誇ったGM(ゼネラル・モーターズ)がドラッカーという参謀をうまく活用できず凋落(ちょうらく)していった事例等をもとに、「組織の失敗」について語り合います。

プロローグ:ドラッカーの悔恨

(写真:Everett Collection/アフロ)
(写真:Everett Collection/アフロ)

 裕福なドイツ系ユダヤ人の家庭で生まれ育ったピーター・ドラッカーは、ナチスによる迫害を恐れて母国と職を捨て、1939年29歳でアメリカに移住した。3年後には大学教授となり、『産業人の未来(The Future of Industrial Man)』が出世作となった。

 これに目をつけた、当時世界最大・最強と呼ばれたGM(ゼネラル・モーターズ)に招聘(しょうへい)され、会社組織の変革と再建を依頼された。1年半の調査の後に書き上げたのが『会社という概念(Concept of the Corporation)』(1946)だった。そこにはGM組織の強さの秘密が詳細に描かれ、同時にその弱点も指摘されていた。その最大のものは「強さゆえの変化への拒絶」だった。ドラッカーは繰り返し「変化対応こそがマネジメントだ」と説いたが、GM経営陣は「不変のマネジメント手法」を求めた。GMはこの本を禁書扱いし、まるでこの本が存在しないかのような扱いをし続けた。ドラッカーの「GMを調査しその強化を図る」という1年半の努力は、ムダになったのだ。

 しかし、この本自体はGMの分権型経営の神髄を明らかにした著作として評価を受け、GEやフォード、トヨタなど世界中の企業がその学習と実践に励んだ。一方、「より分権化すべし」というドラッカーの進言を無視したGMは、1970年代には強敵となった日本企業に打ちのめされ、長い低迷を経験することになった。

 ドラッカーは思った。「これでよかったのだろうか」「これがきっかけで社長のスローンとは仲よくなったし、日本企業のお陰でアメリカ企業からの仕事も増えた」「しかし私はGM自体を救うことはできなかった」「あのとき、もっといいやり方があったのか……」

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