電信を牽引した鉄道ビジネス

(三谷、以下み):ITは「戦争」という用途によって大きく進歩してきました。でも、19世紀以降、意外な商売や交通、メディアといったビジネス(民需)がその発展を引っ張ってきています。中でも鉄道の貢献が大きいのです。徒歩、馬、自動車、鉄道、飛行機……。人の移動手段のスピードが上がれば上がるほど、病気も伝わりやすくなるし、事故などのいろいろな問題が起きてきます。

 鉄道の場合、最悪なのは列車同士の衝突や脱線です。速度が遅いときにはいろいろな方策でぶつかるのを防止できましたが、馬より速くなるともうそれも間に合いません。しかもミスしたときの被害が大き過ぎます。

 5針式電信機(5つの針で20文字を指し示せる)の発明者(*3)ウィリアム・クックたちは、それを即座に鉄道会社に売り込みました。グレート・ウェスタン鉄道がこれに飛びつき、主要都市間21kmでの電信線建設を彼らに依頼します。発明の2年後、1839年にはもう運用がはじまるというスピード展開でした。

 鉄道は固定投資がとても大きいビジネスで、売上減が直接、利益減に直結します。その意味でも事故をすごく嫌いますから、安全への新規技術導入には常に先陣を切ってきました。米国で誕生した、サミュエル・モールスらによるモールス電信機(*4)も、国会議員たちはその価値を理解せず、数年後にやっと鉄道沿線に64kmの電信線敷設が許可されました。そこでたまたま大統領候補の選挙結果を伝えるチャンスに恵まれ、その圧倒的速さを見せつけたのです。1844年のことです。

 米国の電信線総距離の推移(km)
<span class="textColGray fontSizeM"> 米国の電信線総距離の推移(km)</span>
『IT全史』(祥伝社、中野明)より三谷宏治作成

 それから4年で電信線の総距離は3200kmに、10年後の1854年には6万6000kmを超えました。この1854年、聞き覚えはありませんか?

(守屋、以下守):黒船来航、のあとのペリー提督2回目の来日ですね。日米和親条約が結ばれました。

(み):そのときの、ペリー提督の徳川幕府への献上品はなんでしたっけ?

(守):確か、4分の1サイズの蒸気機関車と、モールス式電信機でした! そうか、それはきっと当時の米国にとって「鉄道と電信こそが世界に誇る文明の象徴」だったということなのですね。

ペリー提督が献上したエンボッシング・モールス電信機 写真=郵政博物館提供
ペリー提督が献上したエンボッシング・モールス電信機 写真=郵政博物館提供
*3 1837年に電信機として初めての特許を英国で取得した。
*4 ツー・トントン・空白の3種類の信号で情報を送るモールス符丁とその電信機は、美術教授であるモールスではなく、アルフレッド・ヴェイルという投資家兼技術者によって完成された。