明石元二郎と金子堅太郎の対ソ・対米工作

(守):もう1つ情報という意味で重要だったのが、明石元二郎の諜報・攪乱活動でした。日本軍は1905年3月の奉天会戦で、何とかロシア軍を押し返しましたが、死傷者が多く、銃弾や砲弾にも事欠いていました。ロシア軍は100万人の動員を計画していて、これを完全に実施されていたら日本は負けていました。それを止めたのが当時の明石大佐でした。

 残念ながら、極秘任務ということで資料を残していないため傍証しかないのですが、彼は多くの革命家や反ロシア活動家と接触、資金援助をしたといわれています。彼の使ったお金は、今でいえば兆の単位になるという試算をする研究者もいます。その結果、1905年1月9日(現暦22日)に「血の日曜日事件(第1次ロシア革命の発端)」をきっかけに暴動が全土に広がり、6月には映画にもなった「戦艦ポチョムキンの叛乱」が起きました。ロシアは戦争継続どころではなくなってしまうのです。いかに情報戦で勝つのが重要か、という良い例だと思います。

 さらに言うと、日本は開戦当初から、終戦工作をしています。セオドア・ルーズベルト米大統領とハーバード大学で同窓だった金子堅太郎を、伊藤博文がアメリカに派遣。「ロシアが勝てば、満州は独占されてしまうが、日本が勝てば満州市場は開放する」と大統領たちを説得しました。これによってルーズベルトは日本に好意的な形で仲介に入ってくれたのです。ただし戦後、日本はこの約束を反故(ほご)にして、日米関係は悪化してしまうのですが……。

 とにかく、当時日本は情報戦で勝とうとして、見事にその成果が出ました。これは太平洋戦争(第2次世界大戦)との違いとして、よく言われる部分でもあります。

(み):ただそこで日本陸軍が負けていれば、第2次世界大戦にはならなかったかもしれません。

(守):確かにそれはそうですね。確かにバルチック艦隊はやられていたので、ロシアはたとえ大陸で勝利しても、それ以上日本へ渡ってくることはできなかったでしょう。歴史は難しいですね。

(み):歴史に「もし」はないけれど、「もしこうだったら」を考えて次に活かすことは大切ですね。

ハリウッドスターが考案した「周波数ホッピング」技術

(み):さて話を戦争とITに戻しましょうか。

(守):そうでした。軍事の話でいいますと、米国はある時期から、冷戦でソビエトと米国で核兵器を持ち合って、お互い膠着(こうちゃく)状態になってしまった。では、戦争で勝つためには何が必要か。それは「土俵をずらしていくことだ」ということで、1960年代からは宇宙を競争の舞台にしてみたり、最近はサイバー戦で他国の大統領選に介入してみたり、いろいろやっています。そしていま一番ホットなのが電磁波、周波数帯の舞台だと言われています。

 やはりリアルよりIT情報に行ったほうが勝てると。確かにいくらドローンをいっぱい飛ばしても、周波数帯を乗っ取られたら味方のドローンが敵になりかねません。

(み):通信のセキュリティ技術でいうと、それも元は戦争からです。暗号の利用が一番一般的ですが、今もいろいろな場面で使われているのが周波数ホッピング方式です。GPS、Bluetooth、Wi-Fi、CDMAといった多くの通信プロトコルで使用されています。最初は携帯電話から始まりました。それで混雑し始めて音質が悪くなりました。次に出たのがCDMA方式です。それは多くの広い電波帯の中を細かく区切って、そこを縦横無尽に動きながら使おうというのが周波数ホッピングです。どこかの周波数が妨害されていても、ほとんどの情報は邪魔されずに届きます。

 

 それは盗聴されづらいというのもあります。その動き方自体をあらかじめ秘密で決めておけば、それを全部追っていくことが難しいのです。その周波数ホッピング、最初は軍事用途のためにつくられました。目的は通信妨害防止、発明者はハリウッド女優のヘディ・ラマーです。

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