この対談企画では、戦略コンサルタントとして活躍し『経営戦略全史』の著者として知られる三谷宏治氏、そして『孫子』や『論語』、渋沢栄一など中国古典や歴史上の人物の知恵を現代に活かす研究家の守屋淳氏が、縦横無尽に世界の歴史や企業経営に斬り込み、現代日本の課題解決につながるヒントを探り、語り合います。
前回は、古代中国やモンゴル帝国が築き上げた「戦うためのIT(情報技術」について語りました。今回は、日露戦争や米ソ冷戦を舞台に、戦争が如何に近代ITの発展を牽引してきたかを論じます。
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ORIENT(オリエント):原義は「ローマから東の方向」。時代によりそれはメソポタミアやエジプト、トルコなど中近東、東ヨーロッパ、東南アジアのことをさした。転じて「方向付ける」「重視する」「新しい状況に合わせる」の意味に。
日露戦争は情報戦。英国による海底ケーブルが勝敗を分けた
(三谷、以下み):では、次に日露戦争(1904年)にいきましょう。明治の末、日本の将来を賭けた乾坤一擲の大勝負でした。
(守屋、以下守):前評判では分が悪かった日露戦争で、日本がなぜ勝てたのかというと、やはり英国との日英同盟、そこから得た機密情報が大きかったと思います。当時英国は、海底ケーブルを世界中に引きまくっていました。それを通じて世界の情報を集めていたわけですが、日本にも海底ケーブルが引かれて、機密情報が即時に入ってくるようになりました。英国は世界中に植民地を持っていたので、ロシア海軍の中核であるバルチック艦隊(*1)がどこにいるのか、逐次情報が日本に入ってきました。そうなると、日本としては余裕を持って準備ができてしまうのです。日露戦争の勝敗を決定づけた日本海海戦での圧勝は、やはり情報戦に勝っていたことがその要因でした。
(み):海底ケーブル敷設の歴史は『IT全史』(*2)という本に詳しく出てきます。なぜ海底ケーブル敷設において、そんなに英国が強かったかが説明されています。海底ケーブル敷設は当時、特殊ケーブルの開発に始まって、巨大敷設船の建造、気候リスクの担保など、高い技術・ノウハウと膨大な資金力を要する、超ハイリスク事業でした。他の国はその両方がない。そこにお金を突っ込むのが英国企業ばかりだったので、結局英国が世界の海底ケーブルを席巻しました。ここでもやはりリスクテイクといえば英国だったのです。

(守):100年以上前に大西洋や太平洋の海底にケーブルを通してしまうのですから、英国とはすさまじい国ですよね。
(み):他国も機密情報を英国の海底ケーブルで流すしかありません。お陰で英国政府はどこよりも速く機密情報を流すとともに、敵のそれを傍受し止めることすらできました。
*2 中野明 著、2017年発刊。2020年に文庫化。
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