
(2013年5月8日付の日経ビジネスオンラインに掲載した記事を再編集したものです。肩書などは当時のものです)
「経済学者というのは効率にしか興味がない冷たい人たちである」と一般には思われている――。というのが経済学者側の被害者気取りなのか、実際の大方の見方なのかは定かでない。だが、印刷物やインターネット上で書かれていることを見る限りでは、「どうやらそう思われているらしい」ということを話の端緒にしてもまあ許されるかと思う。
経済学者に言わせれば、それは「信仰」を持ち出した議論には加わらないという「自己抑制」ということになるだろう。だが、資源配分の「効率性」=「交換によって互いに得できる機会を利用し尽くしていること」それ自体は、誰がどれだけ得すべきかについて何も語っていない。
例えば、ある1人が資源を総取りした場合でも、そこから交換によって互いに得できる余地がないのだから、定義上は「効率的」ということになってしまう。従って、我々が漠然と「常識」として受け入れているものがいかなる「信仰」に基づいているのかを明らかにし、その論理的な関係と両立可能性を調べ、議論の共有を助けることが求められる。現代の厚生経済学の職分はまさにそれだ。
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