人手不足こそ絶好のチャンス

 1人当たりGDPのランキングに対する日本の人々の認識に見て取れる遠近歪曲トラップは、この章で詳細に検討した人口問題とよく似ています。人口が増えていた時代は「人口増こそ諸悪の根源」だったのに、逆に人口減に直面すると「人口減こそ諸悪の根源」ということになる。要するに、客観的状況がどうであれ、「今」「ここ」が一番悪く見えるという構図です。

 全てにおいてうまくいっている国や時代はあり得ません。いつでもどこでも、良いところ悪いところ、機会と脅威がないまぜになっているのが本当のところです。さらに言えば、強みと弱みは別々に存在するわけではありません。先ほどの中国の大国ゆえの経済成長とそれが抱える課題のように、強みの裏に弱みがあります。逆もまた真なり。両者はコインの両面です。どちらから見るかで、同じことが強みにも弱みにもなりますし、機会としても脅威としても捉えられます。

 以前もお話ししたように、冬になるとしきりに「寒い!」と言い、夏になったら今度は「暑い!」と言いたくなるのが人間の性分です。だからこそ、冬であっても「今は確かに寒い。しかし、幸いにして暑くはない。寒いときだからこそ、こういうことができる」という発想で将来に向けたビジョンや構想を打ち出す。ここにリーダーの役割があるわけです。多くの人々が冬の寒さを実感しているからこそ、ビジョンに共鳴し、その方向へ踏み出す気持ちになりやすいはずです。

 日本が直面している少子高齢化の問題についても同じです。人口減少に歯止めをかける政策は大切です。しかし、どんなに政策的に歯止めをかけても、この先相当長い間、人口が再び増えるということはあり得ません。だとしたら、「人口減が諸悪の根源」という発想をあえて断ち切り、人口減を所与の前提として来るべき「人口7000万人の日本」についての思い切りポジティブかつリアリスティックなビジョンを描いたほうがよいのではないでしょうか。かつては人口増が親の敵のように憎まれていたことを考えると、人口減には良い面もたくさんあるはず。人口減少の先に明るい未来を描くことは十分に可能です。

 リーダーまでも遠近歪曲トラップにはまってしまうと、普通の人々と一緒に「寒い、寒い」と気温の低さを問題視し、「気温さえもっと高ければ……」と考えてしまう。これではタダの「ないものねだり」です。「人口が増えていた時代は良かった。人口さえ増えれば……」という遠近歪曲はリーダーの意思決定を誤らせる恐れがあります。

 例えば移民政策。優秀な人材が海外からきて日本で活躍したり、外国人が日本に資本を入れて日本で商売してもらったりという動きには大賛成です。しかし、現行の技能実習生のような「欺瞞(ぎまん)的」な仕組みで、安価な労働力を安直に移民に求めることについて、我々ははっきりと反対の立場です。少子高齢化で人手不足だ、と言いますが、人手不足こそ「働き方改革」のドライバーであり、日本の企業経営に生産性を向上させる絶好のチャンスを提供しています。

 企業は市場で3種類の評価にさらされています。第1は競争市場。製品なりサービスの競争の中で、顧客に選ばれる会社、選ばれない会社が出てくる。これが経営に対する規律となり、価値を生み出せない会社は淘汰される。競争にはしんどい面もありますが、いまだに市場経済が残っているのは、結局のところ、それが経済社会を駆動するエンジンとして強力だからです。

 第2の評価の場が資本市場です。ある会社には資本が流れ、ある会社には資本が回らない。資本市場における競争メカニズムもまた経営に対する重要な規律になります。この10年で見ると、日本の上場企業の業績、収益性は改善傾向にあります。この背後には、競争市場に加えて、資本市場からの規律が強くなったことがあるでしょう。株主に対して利益貢献をしなければ別のところに資本が流れてしまう。経営者が以前よりも自己資本利益率(ROE)を重視するようになりました。

  残された第3の評価の場が労働市場です。「人手不足で大変だ」ということは、いよいよ労働市場が経営に対する規律の源泉になってきたことを意味しています。言い換えれば、労働市場で人がダブつき「とにかく雇ってください」という就職氷河期的状況は経営を弛緩(しかん)させます。外的な規律がないと人間は必ず楽な方向へと流れていくものです。労働市場からくる規律の強化は経営の質的向上につながるはずです。

 「人手不足倒産」と言いますが、ゾンビ企業が無理を重ねて生き残っていたことのほうが問題です。人手不足で潰れるような会社は、そもそも存在理由をすっかり喪失してしまっている会社が多い。顧客に対する価値を生み出せない会社やまともな「働き方」の提供できない会社が退場を余儀なくされれば、人材は労働市場を通じてより社会にとって必要とされているセクターへと移動していきます。こうした新陳代謝が進んだほうが、社会としてはずっと健全です。

 せっかく人手不足という千載一遇のチャンスが到来したのです。ここで移民に安価な労働力を求めてしまえば、全てがぶち壊しです。短期的に労働力を増やすという点で移民は特効薬です。ドイツではある時から移民政策を積極的に進めました。短期的には経済成長に貢献したでしょうが、ここにきていよいよ社会的なストレスが顕在化してきました。強力な特効薬には副作用があります。どんどん移民を受け入れると、現在の欧州連合(EU)諸国のように、日本もまた深刻なコンフリクトに直面するでしょう。

 それ以上に重大な問題は、せっかく労働市場からもたらされた経営規律を緩めてしまうことにあります。従業員の低賃金に甘えた経営に回帰してしまえば元も子もありません。しかも、です。人口減少や少子高齢化といったのっぴきならない現実は、様々な分野で新しい技術を応用したビジネスの促進要因になります。低賃金の移民への依存は、AI(人工知能)やロボット、デジタル技術の社会的利用を阻害する方向に働きます。

 エクサウィザーズ(東京・港)という日本のスタートアップ企業は、AIの力を使った介護サービスの開発に取り組んでいます。ユニファ(東京・千代田)というベンチャーはIoT(モノのインターネット)をはじめとするデジタル技術を応用して、保育園や幼稚園の労働負荷の大幅な低減を可能にするシステムを提供しています。

 こうした日本発のベンチャーが生まれている背景には、日本の介護や保育の現場の深刻な人手不足があります。テクノロジーにしてもビジネスにしても、つまるところは需要がなければ育ちません。新しいビジネスを支え育てるのは「切実な需要」です。もし大量の移民が安価な労働力として入ってきたら、今育ちつつある新しい技術やサービスに対する需要は抑制され、チャンスの芽が摘まれてしまいます。

 移民の受け入れによる労働人口や消費人口の増大は、問題の先送りにしかならないというのが我々の見解です。石器時代が終わったのは石がなくなったからではありません。新しい素材を新しい方法で加工する技術が開発され、石器を代替する道具を人類が手にしたからです。

 遠近歪曲トラップは「昔は良かった。だから過去の状態を回復しなければならない」という思考を誘発します。新しい技術や手段の可能性から目をそらし、ひたすら石器作りに使う石をかき集めるようなものです。無理が通れば道理が引っ込みます。人口減少という脅威を無理やりに克服しようとするよりも、そのすぐ裏側にあるチャンスを見極めて、それをテコにビジョンを構想する能力がリーダーには求められます。そのためには、「今」「ここ」の視野狭窄(きょうさく)に陥ることなく、現状を歴史的な文脈に位置づけて俯瞰(ふかん)することが大切です。

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