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人口が増えては困るから海外に移住した

 日本において人口問題が真剣に議論され始めたのが、明治時代から大正時代にかけてです。当時の日本は工業化がさほど進展しておらず、まだ日本人の大半は農業を主業とする第1次産業の従事者でした。

 ここで問題になったのが、人口増加です。長男は農家を継ぐことができます。しかし、農地の新規開拓には物理的な限度があります。次男以下は家を出て自分で稼ぐ必要に迫られました。人口増加による食糧難が日本各地の農家の最大の問題となりました。

 当時の日本において、農家の次男問題を解決するために取られた1つの選択肢が「移民」でした。明治維新直後の主な移民先は「北海道」という未開拓の土地でした。北海道は極寒の地で米作に適さないことから、開拓使は非常な困難を強いられました。現在も、北海道の随所には開拓使の石碑が存在しています。例えばポテトチップス向けのジャガイモの栽培で有名な士幌町には、美濃(岐阜県)から開拓使が来たことを伝える石碑が今でも残っています。

 明治時代半ばに入ると、蒸気船で海を渡って、アメリカ大陸に新天地を求める人々が出現しました。1908年に蒸気船「笠戸丸」がブラジルへの第1回移民を乗せて出航し、ブラジルへの移民が本格化します。日本で海外への移民が最も多かった地域は広島県です。戦前から戦後にかけて、ブラジルだけでも約1万4000人が広島から移民したといわれています。

 なぜ、広島という特定の地域から大量の移民が発生したのでしょうか。